天下盗りの大勝負「本能寺の変」の原因とは?

「本能寺の変」の原因としていわれることを整理いたしますと、

  • 「天下を狙っての大博打」(野心説)
  • 「リストラ不安への先手」(不安説)
  • 「侮辱されたとか母親を死なせたとかいった怨み」(怨恨説)
  • 「朝廷や義昭、家康、秀吉など黒幕に操られた」(黒幕説)
  • 「四国政策の食い違い」(四国説)

といったものがあるそうでございます。

▲結果として秀吉に天下が近づいた「本能寺の変」 イラスト:ウッケツハルコ

これまで申し上げてきた通り、本能寺の変の原因は、最後は信長さまと信忠さまが同時に丸腰で京に滞在されるという、事件の5日前に突然に決まった出来事に乗じて、天下を盗りに大勝負に出られたということで間違いないかと存じます。

しかし、ほかの理由も多かれ少なかれ、その素地になっているのも確かですし、普通ならそれでも主殺しまではいかないのに、思いきった決断をされたのは、合理主義者だが説明不足で人の心を読めぬ信長さまの性格が、禍(わざわい)を招いたものだと思うのでございます。

まず怨恨についてですが、光秀さまが実母を人質に降伏させた丹波八上城主・波多野秀治さまを、助命を条件にして安土に送ったところ、信長さまが殺してしまわれました。その結果、人質の光秀さまの母上が殺されたという話がございます。それが本当なら恨まれてもいいところですが、そんな事件は聞いたことはございません。

あとは、武田攻めのあと「われらも苦労のしがいがあった」と言ったのが信長さまの逆鱗に触れたとか、家康さまへの接待に落ち度があったということで、足蹴にされたとか森蘭丸に殴打されたとかいうことですが、たとえよく似たことがあったとしても、光秀さまだけに辛く当たったということはございません。

むかしは、上司が部下を殴るなど、戦国時代でなくても、それほど、珍しいことではなかったのでございます。

▲足利義昭像(古画類聚) 出典:ウィキメディア・コモンズ

黒幕説といっても、ふたつあって、単純に信長さまを嫌っている人が光秀さまに悪魔のささやきをして仕向けたというソフトな黒幕なら候補者はいっぱいおられます。

たとえば、近衛前久さまは、信長さまが関白にでもなったら自分がなれないので、信長さまがいない方がいいと思われたでしょうし、足利義昭さまは「信長を討て」とずっと言い続けておられますが、それだけのことでございます。

やはり黒幕というからには、具体的に作戦を立てて、あちこち根回しをしたのでなければ意味がございません。

正親町(おおぎまち)天皇が、信長さまは自分が日本の帝王になろうと言い出しかねないと危機感を持たれた、という人が多いのでございますが、公家などでそういう心配をする人がいてもおかしくありませんが、帝ご自身が信長を除けと仰る動機はないと思います。

本能寺の変の前年の2月18日に、京で光秀さまを総奉行に馬揃えがございました。天皇はたいへんお喜びになって3月5日に再び挙行されております。

信長さまが譲位を迫ったので帝が反発されたという人もいますが、中世の帝はできるだけ早く譲位して公務や儀式から解放され、上皇として権力だけは維持しつつ、自由に贅沢な生活を送りたかったわけでございます。

それを儀式や院の御所を造営する費用が捻出できず諦めていただけですから、理由になりません。もちろん、跡を継ぐ方に不満があれば別ですが、息子の誠仁親王に譲るのですから、なんの問題もございません。