小沼綺音、夏の思い出を更新します

まだまだ残暑が厳しい、いやむしろ夏真っ盛りの日々ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。ごきげんよう。わたくしは今日も元気に「いつかの夏の思い出」に浸りつつ「今年の夏のできごと」を更新しています。

さて、前回は記念すべき第一回目の連載であったが、ありがたいことにその反響は、わたくしの想像を遥かに上回るよいものばかりであった。熱狂的からぬるめまでさまざまな層のファンの皆様が「読んだよ!」の報告をくださった。報告だけでなく「おめでとう!」の祝福の言葉もたくさん浴びさせていただいた。

わたくし自身は、執筆中、ええと、気取っている訳ではないのですが、執筆というたいそうな言葉を使うことにご容赦いただきますようお願いします。あくまで便宜上です。。。自分との対話ばかりで、記事が世に出回るまでは「書いた」という実感がさほどなかった。しかし、皆様からのあつい、ちょうどこの時期の日差しのような、リプライを頂戴して『ああ「書いた」んだなあ』と、未だかつて体験し得なかった感慨にふけることができた。改めて素敵な機会を頂けた事にとびきりの感謝をしたい。

そして、掲載する写真についてご意見を求めたところ「読書少女」という案を頂いたので、早速採用した次第である。あたたかい感想、心あたたまる感想、ほっこりする感想など、これからもLINELIVEやSNSでぜひお待ちしております。

読書少女の小沼綺音です

もちろん、青春高校との出会いもとびきりの感謝をしたい機会の1つで、しかし、過去には何度礼を述べても足りない人生を変える機会がまた存在するのだ。非常にナイーヴな宝物であるそれは、以下、曖昧さを伴って綴らせて頂こうと思う。

わたくしは、中学3年生の数ヶ月間を、とある地方の病院の精神科病棟で過ごした。そこは、俗に言ういわゆる閉鎖病棟で、比較的新しく、清潔感こそあるものの、病棟と外を隔てる自動ドアは二重で、しかも分厚かった。そしてなんといっても、いや、なんとも形容しがたい独特の空気感があり、不思議な時間が流れていた。

これはいつも感じていることだが、精神科には、どこの病院でも精神科あるいは心療内科には「におい」があり、わたくしはその「におい」が苦手じゃない。やはりその空気を自分がまとっているからだろうか。とにかく、その病棟で送った日々がわたくしの人生に多大なる影響を及ぼしている。

入院していた患者は皆、歳がわたくしと同じか、少し上くらいで、緊張もあり、しおらしくしていたら、まもなくお友達ができた。もっとも、メインはあくまで治療であるので、その場限りの儚い友人関係だったが。例えるなら某GODI○Aの高級チョコレートの1粒のようだった、と思う。調子の良い時は、コミュニティでトランプやカードゲームをした。そこでわたくしは「エンジェルさん」と呼ばれていた。

自分で、このあだ名の訳を説明するのは非常におこがましいと感じるのだが、名付け親の「なっちゃん」いわく『天使みたい』だったそうだ。うわあ恥ずかしい。彼らとの日々と、しばらくしてから訪れるすべての外界から隔絶された数日間とで、わたくしはずいぶん「いつもいつも頑張らなくてもいいんだよ」と自分を許容する生き方を学んだ。ただし完全に身につけるには、まだ時間が必要らしいが。

隔絶の数日間は想像を絶するが、興味のある方だけ読んでいただいて、知りたくない方はスワイプの要領で飛ばして頂いて構わない。終わったら合図をしよう。

天井を見上げながら“本当の自由”を知る

鉄格子こそないものの、ベッドと水道だけの妙に広い部屋へ移動となり、全ての自由を奪われてしまった。大まかに説明すると部屋から外へ出ることはおろか、ベッドから降りるのもポータルトイレ以外は許されず、そこへ入れるのは看護師さん、医師、清掃員の方のみという状況だった。

もっとも、泣きはらした眼、無造作な髪の毛、はだけまくりのパジャマといった、ひとめでヤバいとわかる形態の自分など、誰かに見られようものなら発狂していたに違いない。そういう訳で、その状況になんの異議も申し立てなかったが、さらに、鏡を見る機会がないのもとてもよかった。荒廃しきった自分の姿を目視しようものなら発狂していたに違いない。

わたくしは、拘束下、天井を見上げる日々で(時計やカレンダーはもちろんなく、最初のうちは携帯も持ち込み禁止だったので、それが何日間続いていたのか記憶が定かでない)「本当の自由」を知る。なぜならば、今まで知らず知らずのうちにその数を増やし続け、自分を痛めつけてきたマイルールを実行する術がなくなったからであった。

おかしなマイルールなんて、なんぼあっても良くない。そんな物にしがみついてやっと得られる安心感は偽物だ。とまあ、もっともらしく述べているが、まだまだ油断するとマイルールに縛られる日々であり、実践段階なので、上述の「気づき」をもたらしてくれた貴重な日々だった、ということにする。