小沼綺音の連載、始まります!!
今月からこのコーナーを担当することになりました、小沼綺音、コヌマアヤネと読みます。こんにちは。あるいは、はじめましてかもしれない。いずれにせよ、自己紹介なんてなんぼあってもいいですからね、簡単に怪しい人物でない証明をさせて頂こう。
わたくしは以前『青春高校3年C組』というテレビ東京さんの番組に出演させてもらっていた。『青春高校3年C組』とは、2018年(平成30年)4月2日から2021年(令和3年)4月1日未明の期間に、一般の16~20歳を対象にオーディションを開催し、選ばれた生徒達で理想の教室を1年間かけてつくりあげるという秋元康先生×佐久間宣行プロデューサー(ちなみに佐久間プロデューサーは現在はフリーランスである)のバラエティプロジェクトであった。
もし、はじめましての方で『青春高校3年C組』とはなんぞや!? となった方は、どうやらパラビで過去の放送を見返すことができるようだ。その『青春高校3年C組』という番組から卒業する際に、LINELIVEのイベントで勝利した生徒がワニブックスさんにインタビューして頂ける企画において、たくさんのファンの方々に支えられ、その特典にありついた。のが今回の連載の有り難いキッカケであった。どうやら小沼綺音のLINELIVEに遊びに行くと、小沼綺音と話ができるようだ。
お話を頂いた数日間は今回こうして、せっかく連載のチャンスを頂戴したので張り切ってどんなものをしたためようか企んでいた。しかし、うきうきするような文句をどれだけ並べても敵わない、ストンと落ち着くキャッチコピーと頭の中で出会ってしまった。
それは「過去を容認する」というもの。書き手はわたくしであるので、不幸にしがみついていたコヌマアヤネという少女を容認すべくこの連載を進めさせていくことにはなるが、同時にわたくしの周りの人の過去、さらには読み手のあなたの過去も巻き込んで勝手に容認し、勝手によしよしさせて頂くかもしれない。
ついでに、影響を受けた小説についても触れさせて頂こう。あるいは、美味しかった思い出についてもあらぬ方角から突然ぶっこまれることもあるかもしれない(美味しいものの話をしたくなると、止められない性分である、なにせ料理がすきなもので…)そうして、過去を通じて「いまのわたくし」、いや、「いまのわたくしの頭の中」を皆さまと共有できたらいいなと思っている。
前置きが長くなってしまった上、連載というものははじめてで、保険をかけるために内容は多少あやふやにしてしまった。しかし、目まぐるしく飛び交うネットニュースに埋もれる日々の中で、ふと立ち止まりこの記事を読んでくださる方々が「これで良かったんだな。これからも、いいよななんとなく」と、安心できる場所にしていきたい。
不幸にしがみついていた主人公が登場する有名な小説がある。それは、わたくしの過去と向き合う上で切っても切れない小説のひとつである(連載の中でこの文句が何度出てくるかは未知数、どれも大事な小説なので順位もつけられそうもない)『人間失格』(太宰治:著)だ。
ご存知の方も多いだろうがざっとあらすじを説明する。主人公、大庭葉蔵の手記という形で物語は綴られ、幼少期から生きづらさを感じていた彼が女性や酒、さらには薬に依存し最終的に脳病院(今で言うと精神病院が近いのだろうか)に強制入院になる半生をえがいたものだ。
葉蔵は脳病院に入れられた際「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間では無くなりました」と悟るのだが、病院から出た生活では「今は自分には、幸福も不幸もありません」と語っている。
明らかにハッピーエンドではない。晴れ晴れとした気分でスキップをしたくなったと言われたらほんとうに最後まで読んだのかと疑ってしまうかもしれない。むしろバッドエンドとさえ捉えられる。でもわたくしはこの語りに、どうしても安堵を覚えるのだ。葉蔵が、長い回り道を経ることで自分を少し受け入れたのではないかと想像して。
自分を受け入れるのはほんとうに大事である。自分を受け入れる、というのは幸せへの1歩であると信じているし、他者のことも受け入れることができるようになるからだ。実際、かの心理学者アルフレッド・アドラー(わたくしの尊敬してやまない方、令和にこんな男性がいたら婚約をせまるだろう)も「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」が、重要であると言っていた。
過去のある時間軸のわたくしは、自分をどうしても受け入れることが出来なくて、それゆえに家族にも辛く当たった。それゆえに、なんて言う接続詞を使うのははばかられるが、そうするしか無かったのである。