更生施設にいた男が出所後も番号「45」で呼ばれる。己の名前を取り戻すには更生しなければならない。「更生」とは何か――名前を失った男が名前を取り戻すためにもがき苦しむ物語。お笑い芸人・福田健悟が綴る、善と悪の定義が問われる自伝的ファンタジー小説。ようやく見つけた「45」の前にあの男が現れた。

45、初めて人前で舞台に出る

10分経っても、20分経っても名前は変わらなかった。途中で面倒になって、要所要所で確認することにした。すると1時間後には「福田健悟」から「45」に変わっていた。

もっといろんなパターンを試したかったが、日常生活で良いことをする機会はなかなかない。親切アンテナをビンビンに張っていてもチャンスは巡ってこなかった。

アンテナの感度が落ちて、平凡な暮らしを送っているときに限って機会は訪れる。中に現金3千円の入った財布が落ちていた。この場合は、募金のときより金額が大きいこともあって期待できそうだ。いざという時のために、名前を書いた紙を持ち歩いていた。

拾った財布を交番に届けてから紙を見ると「45」と書いてある。これはおかしい。矛盾している。1円の募金より、3千円の財布を拾って届けるほうが価値が低いのか? エルビンの言っていたことは嘘だったのだろうか。

3か月後。もう名前を取り戻すことはどうでもよくなっていた。どうせ良いことをしても、報われないならやる意味がない。そんなことよりも、今の僕にはほかに楽しみがあった。先輩のレゲエイベントに行くことだ。

「いいなぁ、啓介くんみたいに歌えたら格好良いだろうなぁ」

啓介くんは、小さい頃からお世話になっている近所の兄貴的存在で、今やみんなの憧れの的だ。オシャレで格好良くてカリスマ性もある。お前も出たらいいじゃん。この一言で、まさか次の月のイベントのフライヤーに載せられるとは思っていなかった。

「啓介くん! 来月のフライヤーに載ってるじゃん」

「だって出たいって言ってたじゃん」

出たいとは一言も言っていない。「いいなぁ」が勝手に「出たい」に変換されていただけ。たしかに舞台には立ちたかったが、自分にはハードルが高すぎた。今まで歌詞を書いたことはおろか、歌を作ったことなど一度もない。突然すぎて心の準備もできていなかった。

無情にも本番の日は少しずつ近づいてきた。なんとかお粗末ではあるが、自分なりに歌を作った。啓介くんのようなパフォーマンスは100%できないが、見様見真似でやるしかない。

何度もイメージトレーニングをして本番を迎えると、思ったよりも周りの反応は良かった。目をキラキラさせて聴き入っている人もいる。

そのなかに気になる存在がいた。場に似合わずスーツを着ている。どこかで見たことのある顔だ。あれは……。

「法務省 特別監査室 呼称返還係 第一主任 野口徹郎」。

名刺の男だ! あの野郎。何しに来たんだ。今すぐにでも舞台から降りて問い詰めたい。野口を気にしながら持ち時間の10分を使って、最後まで歌い切った。フロアに行って野口を探したが、見つからなかった。そこに、見に来てくれた友達が笑顔で近づいてきた。

「いや〜良かったよ」

「おぉ、ありがとう……」

「ただ……」

「え?」

「チャック空いてたよ」

だから笑っていたのか。でも歌を褒めてもらえたのはうれしかった。チヤホヤされて良い気分だった。舞台上から見る景色も最高だった。あいつさえいなければ。

このあとも何度かライブに出続けていたが、野口はいつも客席にいた。しかも腹が立つのはチラチラこっちを見ながら、一丁前に音にノッていることだ。なんの目的だ。徐々に知名度が上がって、野口のことは見て見ぬ振りをするようになった。

アーティスト名は『KEN VOICE』。

この日は出番前に酒を飲みすぎて、トイレに駆け込んだ。誰かが入ってきた音はするが、特に気にとめなかった。

「いつも見させてもらっています」

聞き覚えのある声だ。振り返ると、野口が何かを言いたげにコッチを見て立っている。おしっこは止まらない。野口はフライヤーを広げた。僕の写真を指差してニヤついている。

「ライブに出るときは別の名前でやっているんですね」

「だったらなんだよ」

「よんじゅう……ご」

「そういうことか。別にどうでもいいよ。どうせ一瞬だけ名前を取り戻しても元に戻るんだろ?」

「永久に名前を取り戻そうとは思いませんか?」

「永久に? どうやってやるんだよ」

「今までの自分とは違う自分になればいいんですよ」

そう言うと、野口はトイレから出て行った。あとを追っても姿は見当たらない。永久に名前を取り戻す? そんなことができるのか。今までの最長記録は1時間。永久に名前を取り戻すには、マザーテレサのような人物にならなければいけないのではないか?

いや今はそんなこと考えている場合じゃない。そろそろ出番だ。野口の言葉は忘れて舞台に立った。いつも客席にいる野口の姿はない。ライブ終わりに余韻に浸りたかったが、野口の言葉が頭を占拠した。

「今までの自分とは違う自分になればいい?」

今までの自分とは? 高校? 中学? 小学校? いつから振り返ればいいんだ? そもそも自分がどうやって育ってきたのか、なんて考えたことがなかった。名前を取り戻すことには今は興味がない。でも歌を作るうえで役に立つ可能性はある。やって損になることではないだろう。

まずは今の自分を形成する過程で欠かせない、家族の存在について振り返ることにした。

「45」は、次回11/ 5(金)に更新予定です。お楽しみに!!


プロフィール
 
福田 健悟(ふくだ けんご)/吉本興業所属
平穏な家庭に育つも、高校生になり不良の道へ。地元、岐阜県で最大の規模を持つ不良チームのリーダーとなる。18歳の頃、他チームとの抗争が原因で留置所に2週間、鑑別所に2週間の計4週間を更生施設で過ごす。週に1回の入浴、美味しくないご飯、笑うことが許されない環境で生活をして当たり前の日常の大切さに気づく。そもそも子どもの頃になりたかったのは、お笑い芸人だった。周りにナメられるのが嫌で言い出せなかった。不良を演じて虚勢を張っていた。出所後は本当の自分になることを決意し、お笑い芸人を目指して上京する。わずか10万円を握りしめての東京生活。コンビニでアルバイトをしながらも舞台と日常を分けずに常に芸人としての自分を貫く。すると近所で評判のコンビニ店員になる。「あのお兄さん大好き」「接客のプロ」とたくさんの称賛をいただきながら実感する。人は変われる——。世間から忌み嫌われていた不良が世間から愛される人間に更生した。人生における全ての「負」から立ち直った経験を生かして、他人のありとあらゆる「負」も更生する。つまらない時間を面白い時間に「更生」するため、お笑い芸人として活動中。Twitter→福田健悟@ganeesha_fukuda