陽気な家族の中で徐々に養われていったお笑い魂
幼稚園の頃は、両親と姉2人と僕の5人で、アパート暮らしをしていた。当時の記憶はほとんどない。この頃はまだ、自動操縦で動いていた。自分で人生のコントローラーを握るようになったのは、小学生からだ。
このタイミングで、父親の実家に引っ越しをして、祖母も合わせた6人で暮らすようになった。よく孫は目に入れても痛くないと言うが、祖母は僕が何をしても怒らなかった。
日曜日には毎週2人で喫茶店に行って、ケーキを食べていた。母親からすれば祖母は父の母。気を遣う部分があったのか、毎週の喫茶店代を気にしている様子が、子どもながらに見て取れた。それを察して、僕は祖母に言った。
「喫茶店に行くのダメかな?」
「なんでそう思ったの?」
「お金かかるから」
「子どもがそんなこと遠慮するんじゃないの!」
これが祖母に初めて怒られた記憶だ。このおかげで僕は、大人になってから先輩に誘われても、遠慮をせずに感謝を口にできるようになった。
姉たちとは歳が離れている。2人とも10歳以上年上だ。長女は1番上だけあって、権力を握っていた。冬の季節になると、リビングにあるストーブの前を陣取るのは長女。これには次女も僕も諦めていて、特に異論はなかった。
あるとき、いつものようにストーブの前で陣取っていた長女が、オナラをした。これぐらいはよくあることだが、オナラをした直後、
「ピーピーピー」
と、ストーブが換気のお知らせをした。寒い冬だったが、暖かい思い出である。
次女は、明るくてひょうきんな性格だ。学校に行くまえに、僕が着替えてリビングで寝転んでいると、スカートを履いた姉が顔の上をまたいで、こう言った。
「プレゼント」
姉のパンツはプレゼントにならない。変わった姉だ。こんな2人だが、両方とも10歳以上年上で、よく遊んでくれた。基本的には優しい2人だ。
天然過ぎて少し心配な母
母は少し天然なところがあった。飼い猫のミーが忽然と姿を消したときの話である。
「探しにいったほうがいいかな?」
「そのうち帰ってくるって」
「外にいるかもしれないから、見にいってくる」
心配性は母の特性のひとつだ。その直後にミーは、風呂場のほうからヒョコっと顔を出した。まだ母は畑の中でミーを探している。見つかったことを伝えるために、身振り手振りで母を呼んだ。
「良かったぁ。畑の中にいたから、ミーちゃんミーちゃんって手を振りながら近づいたら、白菜だったのよ」
言い分としては、外が暗くてミーは白と黒の混同色だったから、見間違えたのは仕方ないとのこと。こういった間違いは1度や2度ではない。
「あれ? クーラーのエアコンがない」
「クーラーのエアコン?」
時間が経って考えれば、リモコンの言い間違いだとわかる。でも咄嗟に言われると、暖房だけのエアコンがついに発売されたのか? と思ってしまう。すぐにリモコンのことだとわかって、一緒に探したが、先に見つけたのは母だった。リモコンは母のカバンの中にあった。どういう間違いでカバンに入れたのだろう。言い間違えと謎な行動のダブルパンチだ。エピソードはまだまだある。
「ねぇ、聞いてくれる? 仕事場の人が失敗して先輩に怒られててさ。そのあと、すぐにお母さんが先輩に話かけたら、コッチにまでとばっちりがきたのよ」
「それ嫌だね! 八つ当たりじゃん」
「お母さんも悪いんだけどね」
「なんで?」
「水に油を注いだから」
励ましたかったが、思わず笑ってしまった。
笑い事じゃない話もある。
ATMに現金をおろしに行ったときに、カードを入れて、暗証番号を入力して、金額を打って、現金を取らずに帰ってきた。幸い現金は無事だったようだが、一歩間違えれば盗られてしまう。
また、一緒に買い物に行ったときの話。僕は車の中で待っていた。母は10分後に買い物を終えて戻ってきた。と思った直後に、慌てて店の中へ走る母。再び戻ってきたときに、何があったのかを聞いてみた。
「お金払うのを忘れてた」
まさかの回答だった。商品を積んだ買い物カートは、駐車場まで出ていた。あまりに堂々としすぎていて、万引きGメンも気づかなかったのか。あとから振り返れば笑い話だが、当時は心配だった。