こぼれ落ちるエピソードを拾いあげたい

受賞者が全員登壇し、そのままシンポジウムが始まります。

印象的だったのは、何人かの方が繰り返し言及された「貧困ジャーナリズム」というものについての葛藤です。

「貧困報道はジャーナリズムにおいて花形ではない」「儲からない」という現実、だけど貧困は静かに拡大していくので、社会と共有していく、声を上げることが大切だという信念。そして「裕福な立場から貧困を語ること」の矛盾についてなど、まさにその現場でどっぷり取り組んでいるからこその迷いと、それを乗り越えたいという強い意思を感じました。

その流れで、石井光太さんからは「人間が書きたい」という提起がなされました。

たとえば「コロナ禍で職を失い歌舞伎町で街娼をしている女性が、街娼で得たお金で野良猫の餌を買い、猫を可愛がることが生きる希望になっていて、街娼の仕事もたくましくこなしている」という事実を伝えたいとき、新聞やテレビなどの大きなジャーナリズムでは「コロナ禍で職を追われた女性が街娼になった」ということを報道する。それ以外は報道しない。

けれど、石井さんはジャーナリズムが報道しない背景、こぼれ落ちるエピソードを拾いあげたいということでした。

私事ですが、思えば10代の夢は新聞記者でした。願い叶わず編集者になり、進む道に迷っていたとき、石井さんの『物乞う仏陀』(文藝春秋)を読んで連絡を取ったのが出会いでした。そこから10年近く石井さんのまわりをうろちょろし、ようやく4年前に石井さんの本を自分でも世に送り出すことができ、今回で2冊目。

私は、石井さんの「人間を書きたい」という欲求、そして「こぼれ落ちるエピソードを拾いあげたい」という眼差しをずっと尊敬して、石井さんが見ているものを私も見たいと思い続けていたんだと改めて思いました。

貧困ジャーナリズム大賞は熱かった!

その後、テーマは「フィクションとノンフィクション」について。

特別賞受賞作の『やさしい猫』で、入管の問題を取り上げた作家・中島京子さんは「小説は間口が広く、たとえば、宇宙人とか地球の反対側の人のような自分とは全然違う存在の話が、知っている人の話のようになる」「まだ知られていない声があるならば小説にする意味がある」という、小説ならではの役割が語られました。

同じく特別賞を受賞した映画『海辺の彼女たち』のプロデューサー・渡邉一孝さんは「報道やテレビのカメラが入れない領域でも、映画であれば描くことができることもある」という指摘がありました。

石井さんは「ジャーナリズムが1つの“テーマ”で切り取ると見えなくなるものが、映画・小説・ルポルタージュなどで、別の切り取り方をすることで見えることもあるのではないか。ジェンダーで切り取るとジェンダーしか見えてこないけれど、たとえば上野という街で切り取れば、多様性も貧困も移民も、いろいろなテーマがあって、それらすべてに絡みつくジェンダーの問題、というようにダイナミックに見えてくることもあるのではないか」という、メディアごとの切り取り方・描き方がはらむ可能性についての示唆が述べられました。

そして「ノンフィクションはフィクションを喚起する」という表現の可能性が語られ、終会。

感想を申し上げますと、貧困ジャーナリズム大賞は、いろいろな葛藤を抱えながらジャーナリズムの可能性を信じる人たちが魂を燃やした作品が集う、大変熱い賞でした。

この賞にまたノミネートしていただけるような「社会問題と共鳴しあう1冊」をつくりたいと、思いを新たにした次第です。