コロナ禍によって顕在化した日本社会の格差

日本社会には、さまざまな社会階層があるが、近年は格差の拡大によってそれぞれが大きく隔たったものになりつつある。

ここで階層と呼ぶのは、収入・職業・学歴・身分(地位や資格)によってつくられる社会集団のことだ。社会の中ではそれらが地層のようにいくつにも分かれている。階層と聞いて、すぐに思いつくのが「上流」「中流」「下流」という分け方じゃないだろうか。その人の所得や財産に応じて行なわれる区分だ。

▲階層の図 出典:『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』

定義は人によって違いがあるけど、一般的なイメージであれば、上流は年収1000万円以上あって、都心にマイホームを手に入れられるような人。中流は生活には困らないくらいの安定した収入をもらえる会社員や公務員や自営業。下流は非正規雇用やフリーターで、自分の収入では生きていくだけで精一杯といった人たちだろう。

これ以外にも、身分や職業によって形成される階層もある。身分であれば「正社員」「フリーランス」「契約社員」「ニート」となるし、職業であれば「公務員」「医者」「プログラマー」「トラック運転手」「ユーチューバー」「ホステス」となる。ひとまず、全体像を説明するために、上流・中流・下流の区分で日本社会について考えてみたい。

景気が上昇していたり安定していたりするときは、そこまで階層が問題視されることはない。階層によって収入の差がある程度あっても、みんなが日常生活を営める状況では社会全体の課題になりにくい。ところが不景気になると、下流の人々の生活から順に立ち行かなくなり、税金による支援が求められる。

2020年に起きたコロナ禍は、階層によって人々の置かれている条件が大きく異なることを示した。

コロナ禍で勝ち組となった業界の1つに、アマゾンやZoomなどのIT企業がある。彼らは現代社会では欠かせない存在になっており「巣ごもり需要」「デジタル需要」として、コロナ以前よりも大きな利益を手に入れることになった。GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)などは株価が軒並み上がり、日本の任天堂も緊急事態宣言が発令されて以降の2020年4~6月には、同期としては12年ぶりに過去最高の営業利益を叩き出した。

一方で、スナックやパブといった飲食サービス業は、コロナ禍によって大打撃を受けた。感染拡大が始まってすぐに「不要不急」の対象として名指しされ、営業継続が困難になり、特に非正規雇用のホステスたちは収入源を絶たれた。そのなかには、生活保護や昼間のパートとのダブルワークでギリギリの生活をしているシングルマザーも多かった。

国が一律10万円の特別定額給付金を支給することを決定した際、人々のなかからこんな声が上がった。

「国が税金を使って水商売の人間を支援するのは間違っている。ろくに納税もしていない人間には支援をする必要はない」

人によっては、それまで夜の街の存在を黙認したり利用したりしていたはずだ。それが手のひらを返すように、批判が沸き起こり、対立構図が生まれてしまった。奇しくも、コロナ禍はもともとあった階層の分断を明らかにしたわけだが、ここで考えてほしいことがある。次のようなことだ。

それぞれの階層に属する人たちは、同じような道を歩んできた人たちなのだろうか。

たとえば、アマゾンの社員と、駅前のスナックでバイトをするホステスは、同じような家庭で生まれ、同じような学歴を持っているだろうか。

大抵はそうじゃない。つまり、どの階層に属するかによって、生まれや育ちが大きく異なるというのが実態なのだ。

教育現場を見てみれば、わかりやすい。

格差の最前線にいる子どもたち

少し前に、西日本にある名門私立高校から講演に招かれて行った。中高一貫の進学校で、東京大学や京都大学といった一流大学へ多数合格者を輩出してきた。講演の前に、校長先生から次のように言われた。

▲名門私立高校では医学部への進学率が高い イメージ:PIXTA

「うちの生徒たちの多くが医学部を志望しています。親が医者という家庭も多いのですが、最近は法学部や経済学部へ行って一流企業を目指すより、医師免許を取れば一生安泰な医者を目指す子が多くなっているんですよ」

学校側がそう働きかけるのではなく、中学受験で入学してきた頃から、医学部進学を志望している人が多いという。その学校の2020年度の進学実績を見ると、進学数177名のうち医学部進学数は50名に上っている。大学は一流どころばかりだ。

校長先生は次のように言っていた。

「生徒たちは富裕層の子が多く、中高一貫で一流大学に進学するので、その前にボランティアなどを通して、自分たちとは違う人たちがいることを知ってもらいたいのです。今日は貧困などのリアルについて話をしてください」

この時点で同校の生徒たちの大半が、エスカレーター式に富裕層へ育っていくことが決まっているのだ。

一方、同じ西日本にある「教育困難校」とされている高校へ講演に呼ばれたこともある。教育困難校とは偏差値40以下に多く、勉強以前に貧困や障害といった問題を抱えている子どもの率が高い学校であり「課題集中校」「底辺校」とも呼ばれている。

この学校の校長先生からは次のように言われた。

「うちの生徒は4つに分類されるんです。1つめが中学時代に不登校だった子、2つめが知的障害や発達障害の傾向のある子、3つめが家庭環境の悪いヤンチャな子、4つめが日本語がおぼつかない外国籍の子です。7〜8割は低所得層で、1クラスに5人くらいは生活保護家庭です。1年次には4クラスありますが、卒業までに半数近い子が中退してしまうので、第一の目標は生徒に寄り添って高校卒業資格を取れるようにすることです。卒業後の進路のほとんどが就職ですが、なかなかいい仕事につけなかったり、本人の意志が弱かったりで、大部分が2年以内に辞めてしまいます」

生徒たちの9割が、入学した時点で大学進学をあきらめているが、社会に出て働くことにも希望を感じていないという。

親や先輩が、企業に捨て駒のようにこきつかわれているのを見ているし、高卒では満足な収入は見込めないと考えている。そのため一旦は就職してもすぐに辞めてしまい、水商売に流れる子もいるという。

この学校に私が講演会の講師として呼ばれたのは、生徒たちが夜の街で働きだしたときに、ドラッグ・詐欺・性犯罪といったリスクが格段に高まることを、今のうちに教えほしいと依頼されてのことだった。

▲教育困難校での目標は高校卒業資格を取らせること イメージ:PIXTA

さて、この2つの高校の状況を目にしたとき、階層について何を思うだろうか。

一般的に、15〜16歳といえば、いくらだってやり直しがきく年齢だとされている。中学時代は遊んでいたものの、高校生になって猛勉強して大学に入り、一流企業に就職したり、医師や弁護士になったりした人はたくさんいる。

先生は言うだろう。「君たちには無限の可能性が秘められている。生まれや育ちが違っても、本人の努力次第で、いくらだって素晴らしい人生を手に入れることができるんだ」

しかし、上記のような状況を目の当たりにすると、現実はそんなきれいごとだけではないのがわかる。

低所得の家庭で生まれた子どもたちのなかには、劣悪な家庭環境に加えて、本人の障害など生まれつきの特性も重なって、物心ついたときから挫折をくり返す人が一定数いる。彼らは、15〜16歳のときには袋小路に追い込まれ、将来に希望を抱くことさえできなくなっている。それは子どもたちにとって乗り越えるのが非常に難しいハードルだ。

どうしてこうしたことが起こるのか。

それを理解するには、教育格差が生み出す「貧困の連鎖」について考える必要があるだろう。

※本記事は、石井光太:著『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。