未来を担う君たちに——日本社会にはさまざまな格差が地雷原のように広がっており、そこから多くの社会問題が発生している。でも、いま君たちがしなければならないのは、そのことに右往左往したり、足を取られて絶望したりすることではない。自分の中から幸せだと思えることを見出し、本気で取り組むことだ。
おでん鍋の食べ方を知らない若者たち!?
これまで僕は、社会問題を取り扱うノンフィクションを数多く手がけ、いろんな現場に赴いてきた。日本で屈指の進学校の生徒、一流企業の創業者、国会議員に会う一方で、ひきこもり、外国人ギャング、暴力団員とひざを突きあわせて話を聞いてきた。
つくづく感じるのは、大半の人たちは自分が生きてきた世界、あるいはそれに近い世界しか知らず、それ以外は想像さえできないということだ。同じ年齢や同じ出身地なのに、たどってきた人生がまったく異なる。
僕は全国各地で行なっている講演会で、日本のリアルを質問として投げかけることがある。たとえば先日、進学校として名高い中高一貫の私立高校で話をする機会があり、生徒たちにこんな質問をしてみた。
【質問】
十数人の子どもたちがいました。年齢は、君たちと同じくらいの10代半ばから後半。その子たちが日常会話でつかう語彙はとても少ないです。おそらく2000語程度。これは日本の5歳児が習得する語彙数と同じなので、絵本くらいの平易な言葉で話しているということです。
彼らに、いつも夕飯に何を食べているのかと尋ねると、返ってきた答えは「メロンパン」「チョコレート」「コーラ」。ほぼ毎日それだと言います。
家で食事をするときはたいてい素手で、使用するのはせいぜいフォークくらい。蕎麦もウドンもフォークで食べるそうです。おはしをちゃんと握って使用できるのは、たった2~3人でした。
ある日、子どもたちの食卓におでんの入ったお鍋を置いて「食べてください」と言ってみました。すると、顔を見あわせて固まってしまいました。どうしたのかと尋ねたところ、子どもたちは言いました。
「おでんは知っています。でも、どうやって食べればいいのかわかりません」
鍋で出された、おでんの食べ方がわからないのです。
さて、質問です。この子どもたちは、どういう人たちでしょうか。
これを読んで、どういう状況をイメージしただろうか。僕がこの質問をした私立高校の生徒たちの8割以上は次のような回答をした。
「外国人」
日本語のボキャブラリーが少なく、夕飯にお菓子やコーラを食して、おはしをつかいこなせず、おでんの食べ方を知らない。そういったところから、日本の文化を知らない外国人だと考えたのだろう。いつも素手で食事をしているというところから「日本にいるインド人」と答えた人もいた。
残念ながら、答えは違う。そこで僕はこうつけ加えた。
「外国人じゃありません。日本人です」
生徒たちはどっと笑った。日本人でこんな食生活をしている人たちがいるということを理解できなかったらしい。僕は何も意地悪な問題を出しているわけではない。あるところへ行けば、当たり前のようにくり広げられている光景なのだ。答えを述べよう。
「少年院」
非行を重ねた、あるいはその可能性の高い少年少女が収容される少年院だ。なぜ、こうしたことが起こるのだろうか。
少年院の子どもたちだけが特殊なわけではない
あくまで一般論だけど、彼らの親はさまざまな問題から適切な子育てをしていないことが多い。恋人の家に入り浸って帰ってこない、酒ばかり飲んで暴力をふるう、心の病で1日中混乱状態にある……。
こうした家庭では親子の会話がほとんどなく、あっても親が一方的に怒鳴りつけて服従を求めがちだ。子どもは言葉で物事を考え、表現する意欲を持たなくなり、十分な語彙を身につけることができなくなる。なんでも「やばい」「えぐい」「死ね」といった極端な言葉で争おうとするので、周囲から理解してもらえない。
また、家庭で親が料理をしないので、毎日同じようなレトルトを食べさせるか、100円を渡されて「それで食い物を買ってこい」と言われる。小さな子どもがコンビニで買うものといえば、メロンパンやチョコレートのような甘い物だ。そんな食生活が何年もつづくことで、菓子パンやお菓子が主食になる。
ちなみに、彼らは慢性的な栄養失調になっていることもあって、少年院に入ってごく普通の食事を日に3回とるだけで、簡単に5キロ、10キロと太る。
食器についても、家になかったり、親から使い方を教わったりしていないため、幼児のときから素手で食べる習慣が改まっていない。はしがうまくつかえず、フォークのように刺す子もザラだ。
おでんが食べられないのも家庭の影響だ。家族で鍋を囲んだ経験があれば、他人とはしが当たらないように、好物を中心にまんべんなく適切な量を自分の皿にとって食べる習慣が身についている。でも、それをしたことがなければ、誰から、どれを、どうやって、どのくらい取って食べればいいかわからない。だから、おでんのような鍋料理を出されると困って固まってしまうのだ。
くり返すが、これは決して特殊な例じゃない。有名私立校の生徒たちの大半が塾に通ったり、旅行に行ったりする経験を当たり前のように持っているのと同じように、少年院で暮らす子どもたちには同じような特徴が見られる。
こういう子どもたちは、同じようなタイプで集まり、そのまま大人になって1つの階層を形成していく。有名私立校の生徒たちは、彼らと接点を持つ機会がないので、生活実態をまったく知らないし、逆もしかりだ。
※本記事は、石井光太:著『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。