邦ロック好きの同級生を軽蔑してた学生時代
永野 で、洋楽好きになった流れでCDを買おうとするわけですけど、当時はモノクロのジャケが渋くてカッコいいと思ってたんで、ザ・スミス(※)の『ストレンジ・ウェイズ・ヒア・ウィー・カム』を買ってしまうわけです(笑)。
(※)ザ・スミス……80年代の英国で熱狂的な人気を誇ったバンド。ヴォーカル、モリッシーの強烈な個性のせいか、ファンもオタク気質でクセのある人が多め。
――そこでスミスを買ったのは運命だと思いますけど(笑)。
永野 運命ですかねぇ。で、それから『CROSSBEAT』(※)みたいな音楽雑誌とかも読むようになって、聴いたこともないのにザ・ザとかジ・アラームとかは、きっといいバンドなんだろうなって思ってました。なぜならジャケが渋いから(笑)。今考えたら、もっと軽薄な音楽を聴いときゃよかった(笑)。
(※)CROSSBEAT……シンコーミュージックから刊行されていた洋楽ロック雑誌。『永野CHANNEL』でも「ロックの情報は主にここから得ていた」と、たびたび紹介されている。2013年休刊。
――ザ・ザは確かに渋いし、ジ・アラームは一時期“ポストU2”とも呼ばれてましたね。暗いもの、変わったものに対するアンテナの感度がよかったんですね。
永野 自分本来の人間性にマッチしてたんでしょうけど、のちにそういう嗜好が自分の芸風にも影響を与えるようになるんです。同級生がBOØWYとかブルーハーツとか聴いてると「こいつらは、なんて民度が低いんだろう」と、本当に軽蔑してました。
――ハハハハハ。中二病です、それ。
永野 はい。で、片や僕はU2の『魂の叫び(Rattle & Hum)』(88年:※)とか聴いて。でも、今考えたら、あんな生意気なアルバムないなと思って(笑)。28歳ぐらいのガキがB.B.キングとか捕まえてさ。でも、当時は本当にU2の信者だったんで、アルバムの隅々まで覚えてますね。
U2は『POP』(97年)まで頑張って推してたんですけど、その次の『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』(00年)でやたら落ち着いちゃって、「おまえたちだけ幸せになるんじゃねえ」とムカついて離れました(笑)。あと、自分の影響でU2知ったやつが、俺よりも金があるからそれをCDで買ってるのを見てムカついてましたね。
(※)『魂の叫び(Rattle & Hum)……88年公開、U2の同名ライヴ・ドキュメンタリー映画のサントラ。B.B.キングやボブ・ディランなどロック界の大御所が参加、ブルース発祥の地、メンフィスのサンスタジオで録音を行なうなど、当時の彼らにしてはかなり背伸びした作品。
――U2を聴いていたのと並行する形ですが、永野さんが17歳のときですか。運命のバンド、ニルヴァーナに出会うわけですね。
永野 はい。これも『CROSSBEAT』に載ってた写真を見て一目惚れしたんですけど、佇まいにすごく新しいものを感じたんですよね。なんかダルい感じを漂わせてたでしょ。それ見たら、「あれ? U2ってもしかしたらカッコ悪いのかも……」と思ってきちゃった(笑)。
――ダサい元カレみたいな感じですかね。
永野 そうそう! U2の『ZOO TVツアー』(93年12月に来日)は行ってるんですけど(笑)、もうあんまりかな? みたいな態度を取ってた(笑)。ニルヴァーナは『ネヴァーマインド』(91年)の1曲目「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のイントロの音からしてカッコよくて、もうすぐに持っていかれて。
でも、自分が最初に注目してJロック好きの田舎者たちにニルヴァーナのことを教えてやったのに、教えてやったやつの方がCDを買って、俺は金がないからそいつが買ったCDをテープにダビングしてもらって聴いてたんです。それが屈辱的でね(笑)。俺のほうが絶対センスあるのに!って思ってました。
≫≫≫ 明日公開の中編へ続く
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