プレーイングマネージャーという名のユーティリティプレイヤー
当時の西武グループの企業全体にいえることだと思いますが、プリンスホテルも大変厳しい経営環境にありました。上場廃止からグループ再編への道のりは大きな痛みを伴うもので、プリンスホテルも収益性やグループとして保有することについてのシナジーなどを検討した結果、一部の施設を売却・閉鎖するなど、規模の縮小と人員削減を複数回にわたって実施しました。また、東日本大震災から9カ月、「自粛ムード」がまだ残っている……私がプリンスホテルへ異動になったのは、まさにそんな時期でした。
まず、高輪・品川エリアに配属され、国内向けの宿泊企画と宣伝を担当しました。仕事としては、一つはインターネット宿泊予約サイト向けの商品企画とプロモーション。二つ目は、年末年始やお盆休みなどの四季折々の宿泊プランの企画です。これには食事やイベントといったものが含まれます。つまりホテル業務の全セクションに関わる仕事が担当でした。
未知なる業界への異動、しかもマネージャーという立場でした。支配人がいて、その下に何人かのマネージャーがいる、そのうちの1人。
球団職員の時も部下はいましたが、小さなチームでしたから、みんなでやっている感じでした。一方、ホテルでも「プレーイングマネージャー」でしたが、部下の人数も多く、より責任は重くなりました。しかも、部下たちがやっている仕事をひとつひとつ覚えることから始めなければならなかったので、そういう意味でも大変でした。
完全に再興した現在のプリンスホテルからは考えられませんが、相当厳しい経費削減をしていた時期もありました。だから、マネージャーという立場など関係なく、私もいろんな業務を行いました。
たとえば、シルバーコートを着て、蝶ネクタイを着けてパーティーの配膳係。フォークやナイフなどをきれいに磨きあげたり、おしぼりを巻き直したりもしました。おしぼりって、業者さんからビニールの袋に入って納品されるのですが、ホテルではそれを取り出して、ホテル仕様に巻き直すのです。
クリスマスのディナーショーでは、誘導係もやりました。とにかく、できることはなんでもやりました。