毎日のように若林と遊んだ若手時代

ナイスミドルがキサラの前説に出るようになってからは、以前にも増して彼らと距離が近くなった。春日と同じくらい若林とも馬が合い、いつも一緒にいるようになった。

当時の若林はかなり尖っていた。一般受けよりも自分たちのやりたいことをやる、という気持ちのほうが強かったんだと思う。他人に心を閉ざしていたようで、若林の事務所の後輩から「TAIGAさんて、あの若林さんが唯一心を開いてる人ですよね?」なんて言われたこともあった。

気が向いたらよく連絡してくるし、なんでもよく喋る間柄だった若林の別の一面を知り、「え? そうなの?」とびっくりした記憶がある。

若林は、芸人に珍しいタイプの俺が新鮮だったようで、よく連絡をくれた。昼間に電話が鳴ると、だいたい若林だった。暇だったのだろう。俺と遊ぶことに、なんの面白みを感じたのかよくわからないが「何してます? 家行っていいですか?」と、よく連絡がきた。

家に来ると、部屋に置いてあるもの、ひとつひとつにツッコミが入る。ベッドの枕元に置いてある木刀を見つけて「これなんですか?」と聞いてきた。「今の時代どんな奴が寝込みを襲ってくるかわからないから枕元に置いてあるんだ」と答えると、若林はケラケラと笑う。短大の学園祭で、横浜銀蝿の歌にのせてツイストを踊ってハシャぐ俺のビデオを見せたときも、めちゃくちゃ笑っていた。

今となればわかるような気がする。芸人の多くは、学生時代にクラスの人気者がたいして面白くもない芸を披露してハシャいでいるのを、「うわ、こいつら寒っ」て思ってきたような奴らだ。だから、そんな寒い奴が貧乏暮らしをしてまで真面目に芸人を目指していることが、若林には新鮮に映ったのだ。