社員の地位を捨てて断った退路

俺がキサラのステージに上がるようになった頃、「ダブルネーム」というコンビが、キサラのオーディションを受けにきた。

いかにも調子に乗った千葉のチーマーといった見た目の二人組で、できるのはCHEMISTRYの歌マネだけだったが、抜群にうまかった。

CHEMISTRY一本でこの世界で通用するだろうか、と勝手に心配していたが、素人感丸出しで業界ズレしていない感じが、どこか地元の後輩っぽくて、すぐに仲良くなった。彼らはどんどん腕を上げて、のちにフジテレビの『ものまね王座決定戦』などに出演するようになる。

同じ頃、オーディションに来たのがミラクルひかるだった。彼女も宇多田ヒカルのモノマネに関しては、ずば抜けて上手だったが、他はと言うと大して目を引くものはなかった。

だが、一つの秀でた芸があれば芸人としては合格点。彼らはCHEMISTRY、宇多田ヒカルのそっくりさんとして、舞台に立つようになったのだ。

当時のキサラは、満員になるなんて日はめったになかった。曜日や出演者によって集客はまちまち。その後、彼らにオードリーを加えたメンバーで、「若手デー」というスペシャルステージをやることになるのだが、当時の店長は貪欲に売れようとしていた若手のことを応援してくれた。

▲芸人一本で生きていくのが夢

社長や支配人たちも、同じネタを繰り返すばかりで大した努力もしないショーパブ芸人より、新しいことに挑戦しようとしてる俺たち若手を好意的に見てくれていた。その期待に応えようと俺たちは必死だった。

一方、スタッフ兼出演者を続けていた俺だが、若手の仲間に刺激を受けて、そろそろ芸人一本で生活していきたいと思うようになっていた。だが、ショーパブ社員を辞めるとなると、固定給がなくなるのには不安も残る。なにせ、芸人の収入だけで食っていける仕事量なんて、あるわけがなかったからだ。

ショーパブの社員と芸人の二足の草鞋のメリットは、生活するお金には困らないことだ。だが、月に25日は絶対に働かなくてはならないから、急にオーディションやテレビの収録が入っても行けない。ネタを作る時間も十分とは言い難い。芸人との付き合いの時間も限られてしまう。

しかし、お金に困らないことは、芸にストイックになれない理由のような気もしていたのも事実。このぬるま湯のような暮らしから抜け出したら、がむしゃらになれるんじゃないかと思った。食えなきゃバイトをすればいいだけだ。

芸に本気になるべき時がきた。