父親の手術は成功し、芸人としての活動も軌道に乗り始めて順調といえる福田。ついに「福田健悟」の名前を完全に取り戻す日がやってくると告げられた。しかし、「45」から解放されるための最後の一日、福田に過去最大のトラブルが降りかかる。

人から愛されるために特別なことをする必要はない

「昨日の審議会で決定しました」

17年かかった。ようやく夢を叶えて、足りないものは1つだけだった。名前だ。やっとマナミに、プロポーズをすることができる。野口徹朗は言っていた。

「永久に名前を取り戻すための、ヒントは愛です」

このヒントから、初めて手がかりを掴んだのは、バイト先でのこと。お客さんである安藤さんは、芸人じゃないのに、自身の悲しみを笑いに変えていた。それを見て、見返りがなくても、人を笑顔にすることの大切さを学んだ。次に、無条件の愛を目の当たりにしたのは、父の見舞いに行ったときだった。

「健悟の言ったことはな、一語一句、全部覚えてるんだよ」

この一言を聞いて、17年前からずっと、黙って見守り続けてくれていた愛の深さを知った。この2人みたいに、壮大な愛情を見せてくれる相手は、滅多にいない。

日常生活で、最も自然に愛情を交換し合えるのは、マナミとの関係だ。彼女との関係は特に、些細なことで傷ついたり、何気ない言葉で不安になったりする。パートナーを安心させたほうがいいとわかったのは、彼女に出会ったのが大きかった。

それまでは、多少ヤキモキさせるくらいのほうが、刺激的で魅力的な男に見えると勘違いしていた。だから、芸人として有名になることで、周りからワーキャー言われて、追いかけられる立場になりたいと思っていた。それが間違っているとわかってからも、簡単には変われなかった。

その原因となっていたのは、劣等感だ。劣等感は、誰もが幼い頃に植え付けられていると思う。賢くなければいけない。1番にならないといけない。子どものことを思っているが故に、良かれと思って親は言う。

僕は子どもの頃から、人と比べられることに対して、異常なまでに怒りをあらわにしていた。他のヤツのほうが賢かろうが、運動神経が良かろうが、知ったこっちゃない。そんなもんで、人の価値は変わるはずがない。普段は優しいのに、勉強のことになると、眉間にシワを寄せるのはなんだ? そんな顔したって、僕には通用しない。わかっている。言うことを聞かないと、愛してあげないって遠回しに脅してるんだろ? と。

こうして親を恨むようになったが、今になれば気持ちは理解できる。なぜなら、親もまた、自分の親から同じような育てられ方をしてきたからだ。これは僕の家系だけに、限られたことではない。

さかのぼれば、僕たちは原始時代から、たいして進歩していないような気がする。もし自分が原始人だったら、初めて雷や地震に襲われたときに、何を思うだろう。空が急に光り出して、稲光りと共に轟音が鳴り響いたら、世界を支配している何者かの怒りだと思うはずだ。踊りや音楽は、宗教的な背景が起因となっていると聞く。

もちろん雷や地震が、踊りや音楽で収まるはずがない。だから、何をすれば怒りを収めてくれるのかと思い悩んだ末に、自分の粗探しを始めて、欠落した部分を見つけ出したのだろう。

原始的な存在である、赤ちゃんも同じだ。他に何も知らない赤ん坊からすれば、父や母は神のような存在。そんな完璧な存在から、愛を与えてもらえなかったら、愛を得るために完璧になろうとする。その末に、自分の粗探しを始めて、欠落した部分を見つけ出すのだ。本当は人から愛されるために、特別なことをする必要はない。

順調だった人生を大きく揺るがすことになる一本の電話

「いいですか? 福田さん。付き合う人は、考えないとダメですよ。人は影響し合って生きているんですから。誰と一緒にいるかは、大切なんです」

野口徹朗が言っていたように、人を大切にできないような相手からは、離れたほうがいい。だからといって、離れた相手を恨み続ける必要はない。そんなことをしても、損をするのは自分自身だ。17年前の僕は、物事を正しいか間違いかで、判断していた。

今は違う。楽しいか楽しくないかで、判断している。愛する人を相手に、駆け引きをしたり、不安にさせたりするのは楽しくない。17年間ずっと、名前で呼ばれたり、番号で呼ばれる不安定な日々を繰り返してきた。これからは安定をして、マナミを安心させることができる。

「それにしても、不思議だな。最近は忙しくて、更生プログラムのことが頭になかったんですよ」

「それがいいんですよ。真の更生とは、更生をしようと考えてから動くものではありません。考える前に、行動をするものです。私は今までいろんな人を見てきましたけど、芸人さんでありながら、更生プログラムをクリアした人は初めてです。おめでとうございます。あなたは、私の誇りです」

涙ぐまずにはいられなかった。出会った当初は、嫌なヤツだと思っていたサラリーマン風の男も、今や恩人。彼がいなかったら今の僕もいない。地元でくすぶっていたときに、東京で勝負するように言ってくれたのも、彼だった。芸人を目指したら、名前を取り戻すまでに時間がかかるとは言われていたが、違っていた。僕が名前を取り戻す方法は、他にない。そうわかっていて、背中を押し続けてくれていたのだ。

翌日。最後の1日は、目覚めもスッキリしていた。仕事のためにテレビ局に向かって、収録をした。今まで以上に手応えがあった。タクシーに乗りながら、感慨深い思いにふけていた。テレビに出始めたときは、行きも帰りも車中はドキドキしていたが、今では当たり前になっている。悪く言えば新鮮さが失われて、良く言えば環境に順応し始めたのだ。

こうなることを、マナミはずっと待ってくれていた。今日は帰ったら、婚姻届を取りに行く。そう決めていた。だが、タクシーから降りた瞬間に、1本の電話がかかってきた。