お父さんが病気で倒れた――突然の連絡に動揺を隠せない福田健悟。病院にかけつけると、そこには父が横たわっていた。久しぶりの2人だけの会話から、最後に告げられた「お母さんのこと頼んだぞ」というひとこと。事態は今、大きく動き出す。
母親にだけ伝えた「お笑いやめるよ」という決意
そういうことか。だから改まって話し始めたのか。考えれば、他の話じゃないのはわかる。父が何を置いても最優先にするのは、母のことしかない。即座に首を縦に振った。
「よし。じゃあトイレ行ってくる」
慣れた手つきで松葉杖を持って、部屋をあとにした。今まで叱られたこともたくさんあった。あのときの強さは、今はもうない。恨んだこともあった。でも今は、感謝の言葉以外は出てこない。そこに母が戻ってきた。
「あれ? お父さんは?」
「トイレ行ったよ」
決して、父から言われた言葉を聞き出そうとはしない。こんなときでも、母は父を尊重している。普段と変わらない。僕が何も言わない限りは、何も聞かないだろう。
「さっき、看護婦さんが他の患者さんの世話をしてるときにね……」
とりとめもない話を続けているが、頭には入ってこなかった。さっきの父の言葉だけが、心に残っている。母が悲しみを和らげようとしているのはわかる。その思いを大事にしたかったが、我慢できない。
「あのさ」
「なに?」
「俺、お笑いやめるよ」
ここに来る前から考えていた。父がいなくなったら、母は1人になる。姉たちには2人とも家庭があって、別の場所に住んでいる。僕は独り身で、自分勝手に夢を追いかけて、家を飛び出した。もう夢を見ている場合じゃない。
「お父さんに何か言われたの?」
「いや、今まで迷惑ばっかかけてきたから。もう迷惑かけれないなぁと思ってさ」
なぜか、母は笑っている。呆れ笑いのようにも見える。まぁいい。もう決めたことだ。母はカバンの中を見て、何かを探し始めた。手に掴んでいる物を見ると、父の携帯を握りしめている。
「これ。お父さんの携帯」
7年前にも、同じ物を使っていた。渡された携帯は、ロックが解除されていて、ネットの検索画面が表示されていた。
『ガネーシャ 福田健悟』
『ガネーシャ 漫才』
『福田健悟 本』
『福田健悟 漫才』
「お父さん言ってたよ。唯一の楽しみは、あんたの活躍を見ることなんだって」
涙が止まらない。
「さっきはわからなかったかもしれないけど、普段はツラそうな顔をしてるのよ。そりゃそうよね。痛み止めも、欠かさずに飲んでるし。でもね、健悟の動画を見てるときだけは、笑ってるんだよ。その日だけは、痛み止めも必要ないって言うしね。やっぱり、笑うっていうのは、良いことなんだね」