夏といえば怖い話。ここでは怪談話とはちょっと違う、現実にあった戦国時代の「こわい」話を紹介します。日本の都市部に住んでいると明るい場所が多いですが、キャンプなどで自然豊かな場所に行くと、夜の明かりは月と星だけ、そんな経験をしたことがある人もいるでしょう。現代であれば「肝試し」でもしようか、などとなるかもしれません。今から500年前、日本の「夜」はどんな感じだったのでしょうか? ストーリーテラーは歴史作家の濱田浩一郎氏です。

夜は大きな不吉なことが起こる時間

今夜は戦国時代の夜の恐ろしい実態について話をしていきます。現代でも、夜に出歩くと危険な事件に巻き込まれてしまう可能性が高い。深夜に出歩いていて誘拐されたり、付きまとわれたり、暴行されたり、最悪の場合は殺されてしまったり。なかには未解決事件となってしまう事例もあります。  また、夜になる前の黄昏時は「逢魔時(おうまがとき)」といったりします。

これは、この時間帯に、魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙(こうむ)ると信じられたことから、そのように言われたのです。ですので、余談となりますが「逢魔時」は「大禍時」と書いたりもします。大禍、つまり大きな不吉なことが起こる時という意味です。だいたい午後6時頃を逢魔時と言いました。

▲夜は大きな不吉なことが起こる時間 イメージ:Anesthesia / PIXTA

では、織田信長や豊臣秀吉らが活躍した戦国時代の夜は、どのような感じだったのでしょうか?  戦国時代の夜の実態を探るうえで、興味深い史料の一つに『結城氏新法度』(下総国結城城主・結城政勝が1556年に制定した家法)があります。

この法度の第十条と二十条に次のようなことが記されているのです。

「ある人が、もし他人の農作物を刈り取るか、または夜に他人の耕作地で殺害された場合、殺された者に罪はないなどと申し立ててはならない」

これが第十条の文言です。

そして、第二十条にはこう書かれています。

「夜に他人の屋敷の木戸や垣根があるところを乗り越え、あるいは切り開けて入り、屋敷の者に討たれた者は抗議してはならない」

 つまり、夜、他人の屋敷に入ろうとして殺された場合、例えば討たれた者の親族などは抗議できなかったのです。なぜでしょうか。

『結城氏新法度』(第二十条)はこのように主張します。

「夜中に他人の屋敷地に侵入するのは、盗みかそれに類する振る舞いをしようとしたに違いない。討たれたことは本人の死に損だ。特に町にある木戸や門を乗り越えて討たれた者は、悪盗・悪逆人である」

これらの理由から、夜に耕作地、他人の屋敷に入り込んだり、町の木戸や門を乗り越えただけでも、何も犯罪行為をしていなくても悪人とされたのです。殺されても文句は言えなかったのです。

深夜に稲を持ち歩いてはいけない

 結城氏の事例だけではなく、近江国(滋賀県)の村が制定した掟にも「午前六時より前には、野良仕事に出てはならない」「午後六時以降は、田畠の作物を刈り取ってはならない」という決まりがありました。

つまり、午後六時から午前六時のあいだは、外出や農作業が禁止されていたのです。

近江国の別の村でも「午後六時から午前六時までの時間に、稲を持ち歩いていたら、罪に問う」との掟がありました。そして田畠のモノを盗み取った者を見つけて殺した者には、昼の場合は一石、夜の場合は三石の褒美が与えられたのです。 夜のほうが多額の褒美が与えられたことから、夜に行われた犯罪が昼よりも重かったことがわかります。 

それにしても、深夜に稲を持ち歩いていたら、たとえ、それが自分の田の稲であったとしても、罪に問われるというのは、なかなか恐い。戦国時代において、夜に外出するというのは、即、不審者に該当したと言えます。

西国の大名・大内氏は、夜中に道を往来する者に不審な兆候があるならば、通行を制止せよ、旅人ならば宿を問いただすことを命じていました。西国・東国問わず、夜間外出する者には厳しい目が向けられたのです。

では、戦国時代の夜に疑われずに歩くには、どうすればよかったのでしょうか?

その方法とは、松明もしくは提灯を持って歩く。

午後八時から午前四時のあいだに急用があるならば、提灯か松明を持って通行せよと言う領主の命令などがあります。越後の上杉謙信の後継者として有名な上杉景勝も、町に対して「夜に歩くには、提灯を灯して往復すること」との命令を出しています。

しかも景勝は、火を灯さず往来した者は殺害する、とまで天正九年(1581)に出した制札で規定しているのです。戦国武将、もっと言えば戦国の夜に生きた人々は、夜という時間帯に関してかなりの警戒をしていた。夜間は火を灯すなどのルールに従わず出歩く者は、悪党や不審者と見なされて、殺害される可能性が高かったのです。 

▲松明を持ち踊る太山寺の追儺式  出典:papilio / PIXTA

戦国時代、夜の世界は、悪党や忍びの者が跋扈する空間であり、治安を乱される危険性があったので、人々は厳しい姿勢で臨んでいたのでしょう。深夜に出歩く人が多い現代から見たら、びっくりするような考えです。ということで今夜は、戦国時代の夜の実態についてお話ししました。