「ハーレム」と聞くと、多くの日本人は「酒池肉林の宴」「1人の男性に多くの女性が傅(かしず)く」などを想像するだろう。しかし、もともと学術的には「ハーレム」ではなく「ハレム」という呼び方が正しいことや、このシステムが、性愛と淫蕩だけではなく、家系を存続させていくための厳密なシステムだと知ると、驚く人が多いのではないだろうか。

オスマン帝国史およびトルコ共和国史研究の第一人者と言える小笠原弘幸氏が、今年の3月に発表した『ハレム―女官と宦官たちの世界―』(新潮選書)では、性愛と淫蕩のイメージで語られてきたイスラム世界の後宮・ハレムを、最新の研究結果を交え、世界史に明るくない人にもわかりやすく伝えている。

今回、この本を発表した経緯から、ハレムというシステムの重要性、さらにトルコ人と日本人の以外な共通点や、ハレムの制度から学ぶべきことなどを聞きました。

▲トルコ周辺 地図:Ystudio / PIXTA

ハレムと大奥は似ている?

――これまでオスマン帝国史およびトルコ共和国史を勉強されてきた小笠原先生が、ハレムという制度にフォーカスを当てた『ハレム―女官と宦官たちの世界―』を発表された理由を教えてください。

小笠原弘幸(以下、小笠原) 今回の書籍のテーマの元となったのが、2007年に書いた自分の博士論文です。それは、オスマン王家の系譜を研究したものでした。

――そうだったんですね、もうすでにそこにルーツがあったと。

小笠原 はい。オスマン王家というのは、アダムとイブの時代からずっと系譜がつながっていて、伝説上の有名な王様が祖先としてカウントされているんですね。そこをずっと研究していて、王位継承というのは“男子が跡継ぎを作る”ということを抜きにして語れないので、後継者を育成する組織であるハレムというのはどういうものなんだろう、と興味を持った感じです。

――脈々と続く系譜を支えていたハレムというシステムに興味が湧いたんですね。

小笠原 はい。そこでいろいろ調べていくと、単に系譜や継承だけじゃない、さまざまな側面が見えてきてので、1冊の本にまとめようと思ったんです。

――この本を読む前ですと、多くの方がハレムについて、いわゆる酒池肉林の宴、1人の男性が女性を数多く囲っている、というのをイメージされると思います。

小笠原 たしかに、そうやって女性をはべらせて……という王様もいたにはいたんですが、基本的には、王位継承者を産んで育てることを目的とした、とても厳しい規律を持った組織がハレムです。

――個人的には、日本の大奥のシステムに近いのかなと感じました。

小笠原 はい。大奥も将軍が側室を多くはべらせているのが一般的なイメージですが、実際はそこまで自由がなかったことがわかっています。そういう一般的なイメージとの乖離という意味で、大奥とハレムは似ているところは多いかもしれません。

オスマン帝国の歴史を紐解くことは世界史を紐解くこと

――序文に“近年オスマン帝国について世界的な評価が変わった”と書かれてましたが、歴史の分野において、評価が変わるというのはよくあることなのでしょうか?

小笠原 西洋史や日本史など、研究の進んでいる分野においては、そうそう評価が大きく変わったりすることはないと思います。しかし、オスマン帝国をはじめとしたイスラムに関係した歴史だと、全体的にはまだフロンティアがある、解釈が大きく変わったりする余地のある分野だと思います。

――先生はこれまで『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』(中公新書)や、『オスマン帝国 英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち』(幻冬舎新書)を出版されてますが、そもそも小笠原先生がこれほどまでにオスマン帝国に魅了されたきっかけは?

小笠原 私の指導教員である鈴木董(ただし)先生がおっしゃってたことが大きいですね。私あち日本人は、中国を中心とした東アジアの世界はよく知っているし、欧米やヨーロッパのこともよく知っている。ただ、中東イスラム世界のことは、世界史的に重要な地域だったのに、あまり知らない。私たちは知らない世界の価値観というのをしっかりと勉強する必要がある、とおっしゃっていて。まさにそうだなと思って勉強を始めました。

――実際に勉強をして、どういう印象を受けましたか?

小笠原 オスマン帝国の歴史を紐解くことは、即ち世界史を紐解くことだ、と言ったら少し大風呂敷を広げすぎと言われるかもしれませんが(笑)、個人的にはそれぐらい言ってもいいと思うほど、魅力的な研究対象です。やはり長く続いたということと、一時期は世界の中心ともいえる存在でしたし、世界と密接につながっている歴史を持った国だと感じます。