ヤクザの世界を教えてくれたスズキさん

で、結局俺が選んだのは、ベビーシッターという高校生がよくやる定番のアルバイトだった。アメリカでは、13歳未満の子どもだけを家に置いたまま親が外出することが法律で禁止されているので、親が留守にしているあいだ、彼らに代わって子どもの世話をするというか、まあ、率直に言えば「悪さ」をしないように見張るという仕事が、当たり前のように存在するのだ。

最初に俺を雇ったのは、スズキさんという、日本から来ていた農機具メーカーの駐在員の家だった。

旦那さんは出張が多くほとんど家におらず、基本的に奥さんが家を切り盛りしていたが、いつも夕方の5時になると小型のトヨタで家を出てゆき、夜9時か10時頃に仕事を終えて帰ってくるというのがルーティンだった。

俺が面倒を見ていたヤスオという7歳の男の子は、ほうっておけば何時間でもひたすらレールの上を走るおもちゃの列車を眺めている手のかからない子どもで、ミセス・スズキが帰ってくるまでのあいだ、誰にも邪魔されることなくヒューイが貸してくれたコンピュータ関係の本を読んでいることができた。

ある日のこと。その日1冊目の本を読み終え、ソファの上に置いてあったリュックから別の本を取り出そうとしたとき、ふとテレビの横のビデオラックが俺の目に入った。

この家に初めて来た日のうちに、棚に並んだスズキさんのDVDコレクションのタイトルは一応すべてチェックしていた(全部日本のものだった)ので、それ以上の興味はなくなっていたのだが、その日はどういうわけか、変な気まぐれが起きて、その中の1本に手を伸ばした。

俺が手にしたDVDケースのジャケットには、満開の桜を背景に、むき出しの刀を手にした着物姿の男が、こちらを睨(にら)みつけている写真が使われていた。戦いのあとなのか、頬の傷から流れ出た血が、はだけた着物の胸元から覗く極彩色のタトゥーを赤く染めていた。着物に刀とくれば、サムライかニンジャものかなと思ったが、写真の男はニンジャがかぶっている例の黒いほっかむりもしていないし、髪型はチョンマゲでなくクルーカット(角刈り)で現代的だ。

いったい、この男は何者なのか……。

あれこれ想像するより、この目でビデオの中身を確かめたほうが早い。

俺はDVDをプレイヤーにセットしてテレビのスイッチを入れた。ミセス・スズキから、テレビを見たければ好きに見ていいと言われていたので、テレビがオッケーならDVDもかまわないだろうと勝手に解釈したのだ。

その映画には英語の字幕なんてものはなく、当然そこで交わされている日本語はチンプンカンプンだった。どうせすぐに飽きるだろうと思いながら、ぼんやり眺めているうちに、いつの間にか俺は物語の中に引き込まれていった。

映画は、小雨が降る暗い夜道で、一人の男(ジャケット写真の男。主人公の「ヒデ」)が大勢の男からタコ殴りにされているシーンから始まる。

地面に仰向けに倒れて苦しむヒデに向かって、口々になにか言い捨てながらその場を去っていく男たち。

それを遠目で見ていた若い娘がヒデのもとに駆け寄ってきて、心配そうに声をかけて助け起こす。

数時間後、見知らぬ家のフトンの中でふと目覚めるヒデ。そのヒデの様子を一晩じゅう見守っていた娘の顔に笑みが浮かぶ。

ヒデはあわてて家から出ていこうとするが、娘がそれを引き止める。娘は自分の父や、兄らしき男になにかを訴える。しばらく考えた末「イエス」とうなずく父と兄。

それから何日かして、怪我からすっかり回復したヒデは助けてもらった礼に、娘の家の商売を手伝い始める。娘の父や兄たちと仲良く働くヒデ。

あるとき、そこに人相の悪いギャング風の男がやって来て、ヒデの姿に気づいてギョッとする。

アジトに帰った男は、自分のボスや仲間たちにさっき見たことを報告する。

翌日、ギャングが数人、店にやって来て暴れ回り、店の中をめちゃくちゃに破壊する。止めようとした父親は、殴られ重傷を負う。

出先から帰ってきて、事の顛末(てんまつ)を知ったヒデは、すぐにギャングたちに報復攻撃を加えに行こうとするが、それを娘と兄が必死で止める。ヒデはグッと怒りをこらえ、二人の言うことを聞く。

だが、ことはそれでは収まらなかった。ギャング団は、その後も店に押しかけてきては暴れ、最後はだまし討ちのようにしてその店を乗っ取ったうえ、ボスは店の娘を力ずくで自分の愛人にしようとする。無理やりボスに犯されたのを苦に自殺を図る娘。しかし間一髪のところで娘は自殺に失敗する。助けたのはヒデである。

ヒデは、すべては自分が引き起こしたことだと考え、責任を取るため書き置きを残して娘一家のもとを去り、たった一人でギャング団と戦うことを決心する。

深夜、刀を手に敵のアジトに向かうヒデ。ひたひたと歩くヒデの前方の暗がりから一人の男の影が現れる。娘の兄である。二人は黙ってうなずき合うと、自分の腕に刀で傷を付け、あふれ出た互いの血をすすり合う。どうも、固い結束の契りを交わす儀式のようだ。

二人は二言三言、短く言葉を交わすと、何十人という敵が待ち受けるアジトに切り込んでいく。バッタバッタと痛快に敵を切り捨てていく二人だったが、やはり大勢にはかなわない。敵の一人に追い詰められ、いよいよこれで最後かというヒデを危機一髪、自分の身を挺(てい)して助けたのは、さっき兄弟分になったばかりのアニキだった。

ヒデのほうを見て、大丈夫かというように微笑みかけるアニキだったが、そのアニキの口からふと、泡まじりの鮮血がほとばしったかと思うと、アニキの首ががくりと前へうなだれる。アニキはヒデをかばって死んだのである。

怒りに燃えるヒデは、狂ったように敵をぶった切っていき、最後にボス(親分)と一騎打ちの勝負になる。で、まあ、最後はこの手の映画では鉄板のパターン、お約束どおりヒデはボスをやっつけたあと、全身傷だらけでアジトを出ていくわけだが、そのままハッピーエンドというわけではない。

建物の外では大勢の警官が列をなして待っていて、その警官たちのあいだを、手錠をかけられ胸を張って歩いていくヒデの後ろ姿に重なるように、「終」という文字がスクリーンに浮かぶ。それが「THE END」を示すことは直感的にわかった。

そして、そのときに見た「終」という文字が、俺が最初に覚えた漢字となった。瞬(まばた)きすることも忘れるほど画面に見入っていた俺は、映画が終わってもしばらくその場で呆然としたまま身動きできなくなっていた。

(なんてクールなんだ……)

クールなんて表現じゃ物足りない。大げさではなく、俺はそれを運命の出会いだと感じた。それくらいその映画は俺に強烈なインパクトを与えた。本当にいい映画っていうものには、言葉なんかわからなくても人は心を打たれるもんだ。