オツトメ、ゴクローサンデス

その日をきっかけに、俺は日本のヤクザ映画の虜(とりこ)になり、スズキさんの家に行くのを心待ちにするようになっていた。ミスター・スズキもかなりのマニアらしく、DVDコレクションのうち、ヤクザ映画が4分の1を占めていたが、すべてを見終わるのにそう時間はかからなかった。

一作一作、どれも名作揃いだったが、ほとんどの映画に共通しているテーマが仲間同士の絆だ。俺はそこが気に入った。

日本のヤクザ組織は、すべて家族の形態をとっている。組織のトップである組長は、一家の長であることから「親分」と呼ばれ、その部下たちが「子分」になる。

日本には「Enka(演歌)」と呼ばれる、アメリカで言えばカントリー&ウエスタンとか、ソウルミュージックみたいな音楽のジャンルがあるのだが、その演歌界のキング、いわば日本のジェームズ・ブラウンとも言えるサブロー・キタジマ(北島三郎)のヒットナンバーに『兄弟仁義』という歌がある。

「仁義」というのは、ヤクザの世界において非常に重要な概念で、これを英語にすると「ヒューマニティ・アンド・ジャスティス」とか「モラルコード」あるいは「デューティ」みたいな言い方になる。どれもいま一つビシッとこないのだが、いまのところはそんな感じで理解しておいてくれるとありがたい。

で、この『兄弟仁義』だが、歌詞をそのまま引用すると、日本の音楽権利団体がうるさいので大雑把に翻訳するが、こんな感じになる。

同じ親を持つreal brother よりも
固くつながってるのは義兄弟のほうさ
こんなに小さなcup だけれど
男なら命をかけて Let's drink
俺の目を見てくれ Don't say anything
男同士なら 俺のheart はわかるはずだ
一人くらい俺みたいなcrazy な男がいないと 
世の中のヤツらは気づかないのさ

ここでちょっと補足させてもらうと、日本のヤクザには「盃(カップ)を交わす」という儀式がある。これにはいくつかタイプがあるのだが、通常、この盃は親子のあいだか、兄弟のあいだで交わされる。「義兄弟」というヤツはこれだ。

それまで赤の他人だった者同士が同じ盃で酒を飲むことで、血縁以上の強い結び付きを互いに確認し合うわけだ。そして、いったん親子や兄弟の縁を結んだら、子は親のために、兄弟は兄弟のために自分の命をかけて敵と戦う。

見れば見るほどヤクザ映画の世界に引き込まれていった俺は、映画の中で飛び交う日本語を、直接聞き取りで理解できるようになりたいと切望するようになった。しかしそうなるには、スズキさんの家でDVDを眺めているだけでは全然足りない。そこであるとき、一計を案じて俺はミセス・スズキに切り出した。

「じつは僕、日本語を学びたいと思っているんです。もしよかったら、その勉強のためにお宅のDVDを貸していただけないでしょうか」

「あら、あなたが日本に興味があったなんて全然知らなかったわ」と目をパチクリさせるミセス・スズキに、俺は一つウインクして「奥さんがあまりにも魅力的なので、日本語で口説いてみたくなったんです」と言った――。

というのは嘘で、「いつか日本に行くことが僕の夢なんです」などと瞳をキラキラさせて答えた。

ミセス・スズキは天井のほうを眺めながらしばらく考えていたが、やがて「うん」とうなずくと俺に聞いた。

「トミー、あなたはどんな映画がお好み?」

まさかヤクザ映画が好きだとも言えないので、怪獣ムービーだとか、学園モノに戦隊モノ、あとはアクション映画が好きだと答えると、彼女はフフンと笑って、ちゃんと返してくれるなら気になったものを選んで持って帰っていいと言ってくれた。

俺は飛び上がらんばかりに喜んで、次に来たときに必ず返しますと返事をすると、彼女が目を離した隙にヤクザ映画だけを10本ばかりピックアップして、リュックに詰め込んだ。

帰り際、ミセス・スズキが俺に古びた1冊の本をくれた。彼女が学生のときから使っていたという和英辞典だった。ちなみにそのときにもらった辞典はボロボロになって、いまでも俺の手元にある。

スズキさんから借りたDVDは、学校のパソコンを使って即座にコピーした。コピーガードなんか、俺のスキルをもってすれば一瞬で外せる。かくしてミスター・スズキのヤクザ映画コレクションを俺は全巻コピーして、いつでも好きなだけ見られるようになった。

こうして、俺の灰色だった日々は、パソコンに続いて新しくヤクザ映画が加わったおかげで、さらにいっそう明るくなった。

外国語を覚えたいなら、その国の恋人を作るのがいちばんだって言うが、俺にとっての恋人がまさにこのヤクザ映画だった。

同じ映画を何度もくり返し見ているうちに、少しずつ登場人物がなにを言っているかわかるようになってくる。最初に覚えたのは人やモノの呼び方だ。

「オヤブン」「コブン」「アニキ」「キョーデー(兄弟)」「オヤジ」「オジキ」「アネサン」「クミ」「カンバン」「ダイガシ」「ワカガシラ」「ドス」「シマ」「チャカ」「ハジキ」「ケンカ」「デイリ」「チョーエキ」「ムショ」「オトシマエ」……わからない言葉は、ミセス・スズキがくれた辞書で調べて、出ていないものはネット検索して推測した。

日本語っていうのは、聞こえたとおりにアルファベット表記すると、案外簡単に調べることができるのだ。そんなふうにして、まるで乾いたスポンジが水を吸い取るような感じで、俺は日本語を覚えていった。日本には「好きこそものの上手なれ」というコトワザがあるが、まさにそのとおりだった。

そんなある日のことだ。いつものように、スズキさんの家でヤスオと留守番していると、ふいに玄関のドアが開いてミスター・スズキが帰って来た。予定より早く出張が終わったらしい。

「トミー、久しぶりだね」と声をかけてきたミスター・スズキに、俺が「オツトメ、ゴクローサンデス」と日本語で返すと、彼は一瞬目を丸くして「たまげたな」と俺を見て、ひとしきり腹を抱えて笑い出した。ちなみに「お務め、御苦労さんです」は刑務所から出てきた者を出迎えるときの決まり文句だ。

「そんな日本語、いったいどこで覚えたんだ」と首をひねるミスター・スズキに、じつはあなたのコレクションのヤクザ映画で覚えたのだと答えると、彼は「なるほど」というようにうなずいた。

「君が熱心な日本映画ファンだっていうのはワイフから聞いていたけど、まさかヤクザ映画のファンだったとはなあ」

「ファンじゃありません」俺は首を横に振って言った。

「オタクです」

俺の答えに、ミスター・スズキの大きな笑い声が居間に響き渡った。

「気に入った!」

彼はそう言うと、もっとたくさんのヤクザ映画を日本から取り寄せて俺に貸すことを約束してくれた。