本来の意味における「反日」

この売国・壊国に加担したのが産経新聞やいわゆる「保守系」月刊誌である。デマに近い情報を発信し、それを購読するネトウヨがさらにSNSで拡散させる。これが世論の一部を形成している。

これもモラルの低下と関係がある。上層部はネトウヨ層にあてこんだ商売をすれば儲かるという確信犯である。そのビジネスが続く中で、いかがわしい人物がライターとして起用されるようになり、身動きが取れなくなってしまった。

安倍礼賛を続けてきたことが間違っていたと認めたら、雑誌としてもライターとしても路頭に迷うことになる。そこで現実を歪め、「偉大な政治家安倍晋三」という虚像をつくりあげることに全精力を傾け始めた。

追悼号を毎月のように出し、安倍を礼讃し続ける。自己欺瞞(ぎまん)を続け、過ちを認めようとしない。

本来、保守とはこうした歪んだ思考を戒める態度のことである。それは復古でも右翼でもない。近代の不可逆的な構造を理解した上で、近代内部において理性や合理の暴力に抵抗するのが保守である。保守思想に関する文献を読めば、日本で「保守」とされているものが、その対極であることがわかる。

保守は人間理性を信仰しないので権力を警戒する。よって権力の分散を説いてきたが、エセ保守は逆に権力に迎合する。そして権力と一体化したかのような多幸感に包まれ、自画自賛を繰り返す。自分が大好きで、日本はすごい国と信じ込み、生温かい世界に引きこもる。論理的な整合性が取れなくなれば陰謀論に逃げ込み、惨めな、卑小な、卑劣な自分たちのメンタリティーをごまかすために、その鬱憤を近隣諸国や社会的弱者にぶつける。

こうした連中こそが、本来の意味における「反日」であり、精神的な「弱者」である。

▲「エセ保守」が日本をダメにする 出典:metamorworks / PIXTA

私はこうツイートしたことがある。

《自称保守系月刊誌とかに寄稿している底辺のネトウヨが、安倍の正体が明らかになるにつれ、取り乱し、支離滅裂になっていく様子を観察するのは、少しだけ面白いですね。小学生は夏休みの観察日記にすればいい》

2022年の夏はまさにそういう状況だった。安倍とカルトに関する様々な事実が暴き出された結果、てんぱって支離滅裂なことを言い出す人、黙りこくる人、論点をずらす人、話を逸らす人……。要するに、「いかがわしい人たち」の正体が一気にあぶり出された。

危機は人間の本質を暴き出す。

逆に言えば、われわれは危機に立ち向かうために、まずは人間の本質を知らなければならない。