息子が成人するとき、おとうさんは76歳! 56歳で父に、45歳で初めて母になった2人のシニア子育て奮闘記。リモート勤務推奨がありがたかった、膝に我が子を乗せての編集会議や3時間ごとのミルクでパパママ2交代制など、残された時間がない、将来のお金がない、若い頃の体力がないシニア子育てのリアル。

※本記事は、中本裕己:著『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました -生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記-』(ワニ・プラス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

56歳から始まる「小さな怪獣と格闘する日々」

わが家に赤ちゃんがやって来た。 

これまで病院でお世話になっていたこと、赤ちゃんの衣食住を、初日からすべてやらなくてはいけない。

56歳で育児を始めることになるとは思わなかった。

60歳で4歳、63歳で小学校に入学し、卒業する頃は69歳か。「70歳までの継続雇用制度」が我が社でも採り入れられていれば、給料は激減していたとしても仕事はあるかもしれない。せめて、息子が大学に入るまでは……などと考え出すとゲンナリするので、ええい、これは人生を走りながら考えるしかあるまい。

とにかく育児は体力勝負である。

これから小さな怪獣と格闘する日々が始まるのだ。

▲56歳から始まる「小さな怪獣と格闘する日々」 イメージ:kouta / PIXTA

産まれてすぐは1203グラムだった体重は、2800gまで増え、無事に東大を卒業(病院)した我が子は、生後3カ月でやっと家族の一員になった。

家族が2人から3人になった。24時間ともにいる「+1」の存在感は、たまに面会で顔を合わすときとは違って、想像をはるかに超えていた。ここからは、それを「56歳差」の視点で書いていきたい。

早産で低体重のまま産まれた子は、3歳ぐらいまで時間をかけて、ゆっくりと発達が追いつく。

低体重の早産児なので、成長や体格などは2カ月割り引いて考えるのが通例で、そうなると実質的には生後1カ月と思ったほうがいいそうだ。

片手に収まりそうな子猿のような小動物は、なにかあるとすぐに「フンギャー」と細い声で泣き叫ぶ。哺乳瓶による授乳、オムツ替え、沐浴などはひととおり病院で教わったのだが、これが心もとない。

コロナ禍で面会の機会が激減していたため、それこそ「1回しかやらねえから、よく見ておけよ」という、伝統工芸の親方の職人ワザを盗むように(実際にはていねいに教えていただいたが)、おぼつかない手つきで始めることになる。

自治体やコミュニティによる「パパの育児教室」のようなイベントはコロナで軒並み中止になっていた。育児アプリやYouTubeなどで、見て覚えるしかない。

心筋炎が重篤化して、心不全となりながらも奇跡的に命を救われた妻は、息子よりも早く退院していたが、もちろん無理はさせられない。

この際、育児休暇を取ろうかとも思った。会社の制度上は、たとえ高齢パパでも取れる。

しかし、いや待てよ。この先、息子の学資などを稼ぐために、70代まで働くことは覚悟している。これが20代、30代のパパなら、一時的に収入が落ち込んでも挽回できるだろう。

だが、私の場合、稼げるうちに1円でも多く稼いでおかないとなあ、という銭勘定が頭をもたげる。「体力」と「収入」の2語が体じゅうを駆け巡った。

こういうことを「不幸中の幸い」と言うのははばかられるが、コロナ禍にあって、会社はリモート勤務を全面的に推奨していた。これは我が家にとって、絶好の機会だ。上司に願い出て、リモート勤務と時差出勤を組み合わせることにした。

朝は育児をしながら、合間にオンラインで仕事をして、妻の体の負担にならない午後にバトンタッチ。会社に顔を出さないと片づかない案件をさっとこなす目論見だ。そんな虫のいいことができるだろうか。いや、やってみるしかない。