ベテラン新聞記者の1日

あわただしい午前中のスケジュールは、ざっとこんな感じ。

【午前5時】

3時間おきにミルクをせがむ息子に起こされる。ミルクを作って授乳する。粉ミルクの缶から計量スプーンで哺乳瓶に適量を入れて、ぬるま湯で溶かす。哺乳瓶用乳首への食いつきが悪いときは、口の中で少しゆすってあげたり、そっと口に当てたり離したり。抱きかかえているこちらは、すっかりママの穏やかな気分になる。男性も子育てをしているあいだは、闘争本能が抜けるというのは本当なんだなと実感した。

息子がゴキュゴキュっと音を立てて飲み干すのを確認。そのあと大切なのは、背中をトントンと叩いてゲップを出してやること。まだ手伝ってやらないとしっかりゲップが出せないのだ。かわいく「ケフッ」と聞こえたら授乳完了。この間、夜中に格闘している妻は、そっと寝かせておく。

パパママ2交代制だ。

哺乳瓶の瓶と乳首部分は分解して、ミルトンという消毒液のセットに浸しておき、適宜、交換する。

【午前6時】

夕刊紙の朝は早い。新聞各紙の電子版に目を通す。情報番組もチェックする。ツイッターのトレンド情報や、ヤフーのコメント欄など、ウェブ媒体でどんなニュースの傾向があるのか。炎上したり、拡散するほど話題になるトピックはないのか、にも目を光らせる。

そのうえで、前夜まで、あるいは朝方までかかって記者が取材してきた、事件、芸能、スポーツ、競馬など、その日の紙面候補となっている記事のゲラを読み込む。

【午前8時】

チャットで編集幹部や各部長と会議をしながら、その日の紙面を固めていく。この頃、だいたい息子が「ムニャムニャ……」と起きてくるので、膝に抱えていると、会議の途中で何度も、キーボードに手を伸ばしてカチャカチャとモニター内の画像をイタズラされそうになる。

【午前9時】

編集作業の合間を縫って、オムツ換え。2回目の授乳。洗濯機を回し始める。妻が起きてくるので、家事を分担する。こっちが寝ている夜中の3時や4時に突然泣き出して、妻にミルクをせがむことがよくあった。赤ちゃんの泣き声に慣れてくると「ああ、ママが授乳してくれているな」と意識の片隅で確認しながら寝ることができた。

【正午~午後1時】

時差出勤して、会社であれやこれやの作業。

ママには聞き取れる絶妙の周波数で泣く息子

帰宅は、だいたい午後7時から8時で、帰りにスーパーに立ち寄ったり、テイクアウトでおかずを買ったり。息子が退院してしばらくは、病み上がりの妻にできるだけ体力を温存してもらおうと、すべての家事を引き受ける覚悟だった……と、格好をつけて書いているが、いやはや、とても体がついていかない。

特に夜は11時頃に寝床につくとバタン。じつはそこからが妻の格闘の始まりだ。2~3時間おきのギャン泣きに対応するため、添い寝をしたり、寝る場所を替えたり、ベランダに出てみたり。「寝ていても私には聞こえる。起こされるの」と妻は言う。パパは疲れて熟睡していても、ママには聞き取れる絶妙の周波数で泣くようなのだ。

ともかく、これは高齢パパにはありがたかった。一時期、どこかの自治体が公園でたむろする不良どもを撃退するために流したという、若者にしか聞き取れないイヤ~なモスキート音にも通じるのかもしれない。

つらいのは、夕方から夜にかけて、わけもなく突然泣き出して、どんどんエスカレートしてゆく「黄昏(たそがれ)泣き」だ。ミルクでもない、オムツでもない、どこかが痛いわけでもなさそう。さびしいのかと思って抱っこしても、まったく泣きやまないのだ。

今、2歳になった息子が泣くのは、何かわけがあって伝えられないもどかしさからであることが多い。しかし、赤ちゃんの「黄昏泣き」はそういうのとは違う。この世に生まれ出て、これから遭遇するさまざまな苦労や感動や、いろんなことが予告編のように現れて「ああ人生って切ないなあ」と言っているようにも聞こえる。

いや、それはあきらかに私の幻聴だ。

56歳だから“生まれ出た”ことに意味を見出そうと、理屈ばかりが浮かんでくる。この子の目の前には今、なんの理屈も忖度(そんたく)もないのだ。

仕方なく、気がまぎれるかなと、テレビのスイッチを入れる。お笑い番組を流す。意味はわからないだろうが、にぎやかにワーワー笑っている音は、イヤではないようだ。

ひたすら腕の中であやす。腕が棒のようになり痛みが出る頃、スヤスヤ寝息を立てている。こちとら人生の黄昏どきだが、現実はたそがれている時間などなかった。

▲ママには聞き取れる絶妙の周波数で泣く息子 イメージ:hirost / PIXTA