走れるようになって すがやの逆襲が! 始まらない!
そしてここから、すがやの逆襲の歴史が!! 始まりませんでした。
これが始まらないんですよ。走れるようになった僕は、スポ根漫画のようにがむしゃらに走ることが正義だと思ってしまい、毎日めちゃくちゃ頑張って、頭の使えない選手になってしまったのです。
最後の大会まで僕は一切出場できず、高校サッカーを終えました。正直、試合に出してくれたらレギュラーより僕のほうがやれると思ってたんですけどね。だからこそ僕は感じました。
「ずっとやってきたサッカーが試合に出ないまま終わるのはやだな」
大学でサッカー部に入りたいと伝えると、監督や親からはやんわりとサークルを勧められました。それはそうでしょう。東京都ベスト32の高校から体育会のサッカー部に進む人なんて、一部の別格な選手か体育教師を目指す人くらい。
それでも、僕はサッカー部がそこまで強くない大学を中心に受験し、埼玉の獨協大学に入学しました。
無名大学とはいえ、全国経験者や県選抜経験者が大勢いました。高校時代のようにがむしゃらに頑張っても到底無理。そこで僕は、はじめて上手くなることよりも、下手を隠すこと、工夫や駆け引きに重きを置くようになりました。
「技術もスピードもなくてもできる、一番わかりやすい活躍は点を取ること」と考え、僕なりに味方の好きなシュートコースやタイミングを覚えてこぼれ球を詰めたり、サイドからのクロスに逆のサイドハーフがニアに飛び込んだら、どんなDFでも掴まえられないという発見をして、ほとんどそのパターンでゴールを決めました。
また攻守の切り替えを誰よりも早くして、相手が仕掛けたくなくなるくらい粘っこくディフェンスして守備組織に穴を開けない……などなど、あらゆる下手クソでもできて、かつ上手いヤツがやりたがらないこと誰よりやりました。
それを実現するときに、何より生きたのは高校で走りまくってついたスタミナです。あの武器がなかったら、どう頭を使っても無理だったと思います。
僕は結果的に、高校時代より多くの公式戦に出場していました。1試合のほとんどを我慢と駆け引きに使って、たったワンプレーで遥か格上の相手を出し抜く。こんなにサッカーが楽しかった時期はないです。
何より幸いだったのは、チームメートに恵まれたことです。特に同期のタクミは試合中は一番怒られたけど、帰り道が一緒だったので、毎日試合のおさらいをしてくれて、僕の人生で一番の指導者になりました。
そして、タクミがJリーグの練習に参加しだした大学3年の秋頃、思ったのです。
「ああ、ずっとやってきたサッカーだけど、このチームで試合に出れないまま終わっても、いいなぁ」
僕が大学サッカーにしがみついた原因は、レギュラーになれなかった未練だったけれど、それは格上のチームメートと出会って、毎日ボールを蹴るうちにレギュラーになれないままでも成仏できたのです。
高校でがむしゃらに走りまくってたからこそ、大学サッカーでギリギリやれて、サッカー人生の最後に「この選手好きだなぁ」と自分で少しは思える選手になれました。弱い弱いキャタピーが、弱い弱いバタフリーになったのです。
そして僕は、お笑い芸人になるためにサッカー部を辞めることにしました。最後のミーティングで、ずっと努力の重要性を説いてきた監督が言いました。
「俺、思うんだよ。すがやだけはさ、才能のせいにしていいと思う!! なぁみんな!!」
いや聞いたことない最後のロッカールーム!!
後輩や同期が入部以来、一番声を揃えて言いました。
「うす!!!」
あ、みんなも思ってたんだ。
こうしてすがやの輝かしくないキャリアが終わり、サポーターとしてサッカーを楽しむようになったのです。それでも大学サッカーが一番楽しかったなぁ。
……そんなこんなで、現在のサッカー大好きお笑い芸人・すがやが誕生したのです。
次回からは、すがや目線でサッカーに関するさまざまなことを書いていきますので、お楽しみに!
では、今日はこの辺で!