大怪我を乗り越えて宮市亮選手がピッチに帰ってきた!

2018年、あるチャリティイベントで、あるサッカー選手のことを大好きになりました。

僕のような若手芸人からプロサッカー選手、その関係者などが多く参加したイベントで

「これ、一人ひとりに挨拶していたらキリがないな」

と、知り合いやたまたま話す機会があった方にだけ挨拶をしていた僕に彼は

「失礼します。ご挨拶よろしいでしょうか?」

と背後から声をかけてきました。

「ザンクトパウリの宮市亮と言います。よろしくお願いします」

あまりの腰の低さに、一瞬、後輩のお笑いコンビ『ザンクトパウリ』の宮市くんかと思い「よしもとですか?」と聞きかけましたが、よくよく見ると彼はドイツのサッカーチーム『ザンクトパウリ』所属の宮市選手でした。

僕のような若手芸人にまでこんなに丁寧で誠実な人がいるのか……と衝撃を受けたことを今も覚えています。

そんな宮市選手のサッカー人生は、ファンの方なら知っていると思いますが、怪我との戦いでもあります。

プラチナ世代(1992年生まれ)の快速ウインガーとして高校時代から名を馳せ、高校卒業後、すぐにヨーロッパへ。イングランドの名門・アーセナルに入団します。その後は、レンタル移籍をしながら力をつけていきます。

ボルトン(イングランド)在籍時に、強豪・チェルシー(イングランド)のディフェンス陣をぶっちぎったプレーは

「日本にもこんな選手が現れるんだ!」

と日本中を興奮させました。

サッカー日本代表にも10代から選ばれるなど、日本サッカーの未来を担う選手として大きな期待を寄せられていました。

しかし、その後、二度の前十字靭帯断裂などの大怪我に見舞われてしまいます。怪我から復帰したものの、オランダリーグやドイツの2部のチームに移籍した彼は、徐々に日本のメディアで取り上げられる機会が減っていきました。

そんな宮市選手が2021年、J1の横浜F・マリノスに移籍して活躍し始めたとき、また宮市選手の輝く姿が見られたこと、心からうれしかったです。

初ゴールは浦和戦だったので、僕は浦和側の観客席で見ていましたが、それでも『宮市復活』に大興奮したことを覚えています。

そして、2022年の東アジアE-1サッカー選手権で日本代表に復帰したときには、目前に迫っていたカタールW杯の舞台で躍動する宮市選手の姿を思い浮かべ涙腺が緩みました。

なのに、そのE-1の舞台で再び前十字靭帯の断裂。なんで宮市選手ばかりそんな目に遭うのだろうと悔しくてしょうがなかったです。

なんとなくですが、もうピッチには帰ってこない気がしました。

僕もE-1の宮市選手より半年ほど前に前十字靭帯断裂を経験しました。怪我をしたときはもちろん、手術後も麻酔が切れた瞬間から、夜も眠れないほどの激痛が走ります。骨折など比ではない痛み。確実に僕の人生でいちばんの痛みでした。

そして、そのリハビリは過酷で、僕はいまだに利き足の右足のほうが左足より筋力がなく、歪な走り方になり、足のその他の部分を痛めやすい身体になってしまっています。怪我から1年以上経った今でも、久しぶりに運動をすると膝が痛いので、運動する前日に少しの痛みを我慢しながらジョギングをして慣らしています。

芸人の僕ですら「こんな怪我、二度としたくない」と競技の社会人サッカーをやめたのですから、長く続けることが難しく、身体が資本のサッカー選手が三度も靭帯を切る負担はメンタル面を含め想像を絶します。

本人も一度は引退しようと思ったそうです。しかし、SNSに寄せられたたくさんのコメントを見て思い直した、と。

そして、先日のルヴァンカップのコンサドーレ戦でついに復帰を果たしました。ピッチに入る宮市選手には、F・マリノスだけではなくコンサドーレサポーターからも万雷の拍手が贈られました。

それほど、どのチームのサポーターからも応援されていたということでしょう。

翌週にはJリーグのアビスパ戦で、ホームの日産スタジアムでプレー。またぎフェイントで大胆に縦に仕掛ける姿は、昔から変わらない宮市選手の姿そのものでした。

〇【大声援を受けて326日ぶり復帰】宮市亮 (横浜F・マリノス) 全タッチ集

応援しています! 頑張れ宮市選手!!

……さて、真面目に書いていたら文字数が余ったので、自分の靭帯断裂の思い出話でもしますかね。

次のページの冒頭にあるのが靭帯断裂したときの写真です。グロいっちゃグロいので、見たくない人は次のページいったらすぐスクロールしてください。