最後の試合は目前
「隠していたわけじゃないの。ただ、レイちゃんに言う機会がなかっただけで…それにプロレスラーっていっても半年ぐらいでやめちゃったのよ。その短い間に子どもの頃のお父さんが見にいったらしいの」
母さんの説明によると、じいちゃんはすでに結婚してばあちゃんが父さんを産んでいたにもかかわらず、夢を諦めきれず働いていた会社をやめてプロレス団体に入門したらしい。努力の甲斐あってデビューしたものの、半年後ぐらいにヒザの大ケガが原因で現役を続けられなくなってしまった。
「いっくらレイちゃんがおっきいからって、プロレスみたいな危ないの、やらせるわけにはいかねえってなあ」
東北プロレスのチケットをくれる時、じいちゃんはそう言っていた。それは、自分自身の悔しい体験に基づいた思いだったことを今さらながら知った。
そうした過去がありながら、じいちゃんも父さんもぼくにスポーツをやれと何度も言ったのは、ほかの競技を何かやれば少なくともプロレスからは遠ざかった人生を送れるという理由だったのかもしれない。なのにぼくはこうして…。
「ぼくも見たかったな、じいちゃんのプロレスラーとしての姿」
「デビューしてすぐやめちゃったから雑誌に載ったのも1回ぐらいで、写真も手元には残ってないって。今は年をとって小さくなっちゃったでしょ。でも、当時はレイちゃんほどじゃないけど大きかったそうよ。レイちゃんが生まれる前に亡くなったひいおじいちゃんは、もっと大きかったんだから」
そうだったのか。もともと父方の家系は先祖代々大きいんだ。突然変異的にぼくは180cmを超える小学生になったわけじゃなかったんだな。
それに気づくと同時にけっこう長い間、母さんと話していたことにハッとなったぼくは改めて明日、東京へ帰ると伝えて電話を切った。ちょうど、先輩たちが合宿所から出てきてバンに荷物を積み始めた。
二人っきりでいる間はなんとなくとっつきづらかった日向先輩が、大声をあげる。
「アンドレ! そんなとこで何やってんだよ。早く荷物積むの手伝え。おまえはアンドレなんだから俺たちの3倍は運べよな」
「はい!」
☆ ☆ ☆
矢巾市民総合体育館は、周りを田んぼに囲まれた役場の隣にあった。8月もあと1週間で終わりだというのに、相変わらずセミがうるさいほどの音量で鳴いている。会場へ着く前、バンを運転する宇佐川さんは隣接するJR矢幅駅の前で停まってくれた。
「ほら、看板を撮りたいんだろ」
町の名前は“矢巾”で、駅名は“矢幅”――東北プロレスに入らなかったら、一生ここには来なかったに違いない。最後の最後に大物をゲットした釣り人のような満足感を味わえた。
「結局、最後までおまえの趣味のよさがわからないままだったよ」とつぶやきながら、宇佐川さんが再びバンを走らせると、数分で体育館へ。開場4時間や3時間前にもかかわらず、熱心なファンがギラつくような暑さの中で列をなしている。
ぼくは慌てて車中で覆面を被ってから降りる。すでにリングトラックは到着しており、テッドさんが「のんびりしてないで早く運べよ!」と甲高い声を飛ばしてきた。
最初は重く感じていた鉄柱や鉄骨も、今では軽々と運べるようになった。そして何往復してもバテない。
毎日が必死でそれどころではなかったが、知らぬうちにこのひと夏で体力がついていたようだ。ブルーシートを敷き、売店ブースにグッズを並べる。お客さんを入れる前の合同練習では、道場での集中特訓が功を奏しスクワットも先輩たちと同じ1000回をやり遂げることができた。
ようやく体に染み込んだプロレスラーの日常的風景…その一つひとつが自分にとって“最後”となってしまう。
いつものようにせわしい試合前。地べた座りの中には大人も子どもも、若いお兄さんもお姉さんも、そしてぼくのじいちゃんやばあちゃんと同じぐらいのお年寄りもいて、年齢に関係なくワクワクした顔をしながら語り合っていた。
今日もタスケさんと同じコスチュームとマスクを被ったお客さんがあぐらをかいている。セコンドで本人と見間違えた恥ずかしい体験も、今では笑い話に思える。
本当に、いろんなことがあったよなあ…しかし、そんなことに浸っている場合ではない。数十分後にぼくは、怖い怖いハヤト先輩とたった一人で闘うのだ。