時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。

【前回までのあらすじ】東京にいるはずの両親がリングサイド1列目から観戦していることでパニックとなりながら、デビュー2戦目をフルタイム闘い抜いたマスクド・アンドレ。死ぬほど苦しい目に遭いながら、観客の温かい声援に涙を流し「もっとプロレスを続けたい」と思ってしまう。

ハヤト先輩からの要求

扉を閉めるや、通路に倒れたぼくのもとへ記者さんがやってきた。そして「大丈夫? コメントできる? 無理ならあとにしようか?」と聞く。

隣ではあのおじいちゃんのカメラマンさんが小柄な体にはとても重そうな機材を体中にぶら下げながらシャッターを押している。どうしてなのかわからないけれど、その方の姿を見ると安心できて、緊張から解放された気がした。

ぼくは無理してでも答える気でいた。そこに試合を裁き終えたテッドさんがやってきて、記者さんに言った。

「松島さん、こいつのキャラを考えたらペラペラ話すのはおかしいっしょ。アンドレの方はノーコメントか『コメントをとりにいったらウガーッとかウゴーッと吠えて蹴散らされた』っていうことにしておいてください。それよりも、今日デビューした井之上の話を聞いてやってください。お願いします」

記者さんも納得した様子で合わせてくれた。ぼくもその方が助かる。松島さんとカメラマンさんが反対側の控室へ向かったあと、テッドさんは寝転がったままのぼくに語りかけてきた。

「今日の試合はあれでいい。やる前にもいったけど、100%アンドレ・ザ・ジャイアントになる必要はないんだよ。それはあくまでも“つかみ”だから。むしろ、そこから先はおまえの素の感情や頑張りでお客さんを喜ばせなきゃいけない。

今日のおまえは、それが出ていた。だからお客さんも応援してくれたじゃないか。いいか、プロレスは気持ちだ。そして、その気持ちをより際立たせるために、つかみの部分もしっかりとやらないといけないんだ…まあ、こんなアドバイスをしても、この夏が終わったらおまえはいないんだもんなあ」

「いえ、ぼくはプロレスが好きになりました。ずっと東北プロレスにいさせてください!」

そんな言葉がのどまで出かかったが、飲み込むしかなかった。この夏が終わればぼくは日常の中へと戻らなければならないんだ。

テッドさんの言葉に何も返せなかったぼくは、ようやく上体を起こし座った体勢のまま押し黙る。そこへ、いきなりハヤト先輩が現れた。

「おまえの試合、見させてもらったよ」

「……ありがとうございます」

「おまえ、明日の矢巾で俺とやれ」

「え?」

「おまえの闘っている姿を見て、やってみたくなった。成長してからのおまえじゃなく、まだ粗削りなままのおまえとやってみたいと思ったんだよ。矢巾は、岩手の団体のウチにとってホームリングみたいなもんだ。そこのファンに、こういう東北プロレスの闘いもあるんだっていうのを見せたい。

いやだとは言わせないぞ。断ったら今ここでおまえをぶっ潰してやる。万念や井之上と闘った時と同じようにおまえのデカい体を俺にぶつけてきてみろよ。テッドさん、明日の俺のカード、変更してください」

「何おまえ勝手にカード変えてんだよ! 言いたいことはわかるけど、タスケにも運命にも相談してないんだぞ。だいたい、アンドレは…いや、とにかく会社としてはだな…」

「タスケ社長には、今日の試合でいやでも認めさせますよ。たとえ社長であろうと、俺のやることに邪魔はさせない。リングでは、力がすべて…そうでしょ?」

即答こそ避けたものの、テッドさんはタスケさんに打診してみると言った。この日のメインでは、ハヤト先輩との一騎打ちが組まれていた。