人気ストリーマー(ゲーム実況者・配信者)としての活動のみならず、イラストレーターやモデルとしても活動する月野もも。インドアで引きこもりだった過去、芸能界に入ったキッカケ、さらにグラビアアイドルとしてのやりがいなど、ニュースクランチがインタビューした。

▲月野もも【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

懐中電灯で照らしながらゲームをしていた幼少期

マルチタレントとして活動する月野もも。彼女の原点はどういうものだったのだろうか。まずは幼少期について聞いてみた。

「集団行動が苦手だったり、一人が好きなところは、幼少期から変わってないですね。その頃からゲームをしたり、絵を描いたりするのが好きな子でした。家が厳しくて、門限も早かったんです。小学生の頃って友達同士でお泊まり会があるじゃないですか、それもダメで……」

厳しい家庭に育った彼女。ただ、その頃からゲーム好きの片鱗があった。懐中電灯で照らしながら隠れてゲームをする、という行動をしていたのだ。

「うちは5人兄弟で、私は3番目。お兄ちゃん、お姉ちゃん、妹、弟。私は真ん中でした。家のなかは騒がしくて……私は妹とよく遊んでいましたね。いま思うと修学旅行みたいだなって思うんですけど、20時に消灯だったんです(笑)。

暗くなると何もできないんですけど、私は布団をかぶって、バレないようにゲームボーイアドバンスをプレイしていました。ただ、ゲームボーイアドバンスってバックライトがないんで、懐中電灯で照らしながらゲームをやってましたね。それくらいゲームをしたかったんです。

だから、バックライトのあるニンテンドーDSが出たときは革命(笑)。『どうぶつの森』『ポケットモンスター』をやってましたね。どちらも最新作もやってますよ」

その頃から芸能界に興味があったのかを聞いてみると、まったく興味がなかったと首を振る。

「その頃は、なりたいものが毎日変わるくらいやりたいことが多くて。パン屋さんになりたいって言ってたと思ったら、次はジュエリーショップの店員さんとか(笑)。周りに引っ張られやすかったのですが、絵を描くのが好きだったので、デザイナーをやりたいなというのは、ずっと頭の中にありました」

それから成長するにつれて、“トイレの小窓”から夜、こっそり出かけることもありました……と笑う。

「高校を卒業して、すぐに就職したんです。実家との折り合いが悪かったわけじゃないし、そのまま家にいても問題はなかったんですけど、とにかく一人暮らしがしたい! と思って。ただ、18歳だと借りるのに親の同意が必要になるんですよね。

私は全部自分で決めたかったし、もちろん、親を頼ることもしたくなかった。だから、実家で暮らしつつ、仕事でお金を貯めて、20歳の誕生日に借りるマンションを決めて、両親には“もう決めたから”と言って、実家を出ました」

このままコーヒーを煎れ続ける人生なのかな?

念願の一人暮らしを始めた月野だが、その頃も芸能界の仕事には興味はなかったという。

「一人暮らしをして地元で会社員として働いていたんですが、何か別の仕事をしてみたいなと思って、その会社を辞めて、大手の企業に入社が決まって上京したんです。で、その企業がやっているカフェの店員をしていたんですけど、ふと“このままずっとコーヒーを煎れ続ける人生なのかな?”と思って、そこも辞めて……それから引きこもりました」

「その頃は荒んでましたね」と思い出して苦笑いする彼女。ただ、これによってタレント“月野もも”を生むキッカケとなった。

「当時は『荒野行動』というゲームにハマっていて、ずっとそれをやっているか、たまに外に出てもパジャマのまま近所にラーメンを食べに行くという……ホント、そんな生活を送っていて(笑)。そろそろ貯金も底をつくかな……と不安になっているとき、SNSに芸能事務所の方からスカウトのDMが届いたんです。

それまで表に出る仕事なんてやろうと思ってなかったし、怪しいDMもたくさんあったんですけど、単純に“そろそろ働かないとまずい”という思いが勝ちました」

芸能界に憧れがあったわけではなく、“そろそろ働かないと”という感覚で芸能界に入ったという月野。動機が軽かったので、実際に入ってからは苦労したようだ。

「最初は戸惑いましたね。そもそも、カメラを向けられるという経験って、普通に人生を送っていたら無いですよね。撮影会モデルやフォトモデルを経て、そこで事務所にスカウトされて……という方もいらっしゃると思うんですけど、私の場合“仕事をしなきゃ!”という一心で芸能界に入ったので、表情やポーズの作り方ひとつとっても、イチから学んでいくことばかりでした」

何もわからない素人同然だった彼女、覚醒したキッカケが気になった。

「正直、最初は撮影会をしてもお客さんは少なかったですし、SNSも積極的に動かしていなかったんです。でも、このままじゃよくないなと思って、人気がある方の撮影会での振る舞いとか、SNSのフォロワーが多い方の運用方法を研究するようにして、それを自分の中で解釈して、出していくようにしたんです。

そしたら、撮影会も徐々にお客さんが増えてきて、SNSのフォロワーも伸びてきたんです。正直、学校での勉強とかは頑張ってもうまくいかなかったんですけど……(笑)」