「女性に人気がない」政界ではささやかれていた

都知事選前半の報道機関の情勢調査では、小池百合子氏と鳥越俊太郎氏がリードし、増田寛也氏がそれを追うという構図が浮かび上がってきた。大都会・東京の有権者が対象となる選挙だから、小池・鳥越、両氏のスタートダッシュは、やはりテレビ的な知名度の大きさを物語っていた。その点、増田氏は一般的な知名度で劣るのは否めない。

想定内のことではあったものの、小池氏にとっては「グッドシナリオ」になったというのが私の印象だった。選挙が終わった夏以降、小池氏の圧倒的な存在感が確立されているので、このような話をしても信じがたいかもしれないが、小池氏は後ろ盾となる政党がいない分、基礎票が未知数であり、足元は脆弱だった。

小池氏の「バッドシナリオ」は十分考えられた。先述したように、以前から小池氏の評判に関しては「女性に人気がない」という見方が政界ではささやかれていた。また私が、自民党都連関係者に聞いただけでも「集会での人集めで協力してくれない」「2009年の総選挙で小選挙区で落選した際に秘書をクビにした」といった話がある。

実際、選挙のプロほど当初は厳しい数字を見立てていた。選挙統計も手がけている著名ブロガーの山本一郎氏は、告示の10日前時点で「投票率50%とみて有効投票全数が500万票強であるならば、一割にあたる50万票ぐらい」と見積もり、「どっちにしても勝てない」と酷評していた(7月4日、ヤフーニュース)。

つまり、投票率が史上3番目に低い46・14%に沈んだ前回2014年選挙のような展開となれば、大政党の組織力に支えられた増田氏、鳥越氏に有利になることが予想された。

ところが、蓋を開けてみれば小池氏は順調にスタートした。「グッドシナリオ」に転じた理由としては、「都知事選」というカテゴリーの報道で、露出が目立っていたことが考えられる。

ただし、露出の仕方も重要だ。鳥越氏は、選挙中盤に発売された『週刊文春』で、女性スキャンダルを報じられ、ネット上でも大炎上。

この前後、私はグーグルアナリティクスで有力3候補の名前の検索量について分析していたが、文春の報道を境に鳥越氏は際立った検索量となり、3候補で一時最多になったものの、情勢調査ではじりじりと数字を落としていった。「悪名は無名に勝る」のはある程度、真実味があるものの、当たり前のことながら度の過ぎた悪名は致命的になる。

田原総一朗氏が語った選挙で勝つための教訓

では、小池氏の露出の仕方は何が良かったのか。勝てる候補者の真髄について、ジャーナリストの田原総一朗氏から直接聞いた言葉を思い出す。

編集長就任直後の2015年12月、アゴラ主催のエネルギーシンポジウムを静岡・掛川で開催し、田原氏をゲストに招いたことがあった。それに先立ち、地元の浜岡原発を田原氏らと見学に訪れたのだが、移動中に二人きりで政治談義をする貴重な機会を得た。

田原氏の話で印象深かったのが、小泉純一郎氏が2001年、自民党総裁選に3度目の出馬をしたときのエピソード。当時、小泉氏は国民的人気の割に党内の支持に不安を抱え、すでに2度黒星を喫していた。

3連敗となれば、もう総裁、つまり内閣総理大臣になる芽はなくなる可能性が高い。「変人」の異名をとった小泉氏も、さすがに出馬するか悩んでいたという。

ある夜、小泉氏を担ごうとした中川秀直衆議院議員(当時)が田原氏に相談を持ちかけ、赤坂の料亭で懇談した。田原氏は「小泉さんが経世会と本気で喧嘩するつもりなら、面白いと思う」と助言した。

経世会は、竹下登元首相がかつて率いた自民党の一大派閥。この前年に亡くなった小渕恵三総理を輩出していた。この当時は平成研究会(平成研)の名称になっていたが、自民党内では、竹下時代からの“経世会支配”の威光がまだ強かった。

田原氏は「ケンカをするなら命懸けでやれ」とハッパをかけたわけだが、中川氏は「小泉の目の前で言ってくれ」と応じると、別室に控えていた小泉氏が現れた。

田原氏が「小泉さん、あなたは経世会と喧嘩する気があるんですか?」と尋ね、決心の程を何度も確かめると、小泉氏は「殺されても私はやる」と応じたという。その後、小泉氏は、平成研が狙った橋本龍太郎氏の再登板を封じて圧勝。長期政権を築いたのは周知の通りだ。

小泉氏とのやりとりは、田原氏の著書『人を惹きつける新しいリーダーの条件』(PHP研究所)に詳しい。田原氏が私に対し、このときの小泉氏の覚悟を引き合いに「選挙で勝つには、殺るか殺られるか、本気で戦わないとダメ」と、語っていたのが印象に残る。小泉氏がブレずに戦う姿勢が、国民の支持を得たわけだ。

それから15年。小池氏は、出馬表明時の都議会冒頭解散の公約から推薦取り下げまで、メディアや世論が注目する仕掛けをしつつ、自民党都連と戦う姿勢を一貫してアピールした。都知事選序盤の堅調な支持率は、小池氏の不安要素を一掃しつつあった。