赤×白チェックのモドリッチがもう見られないのか
4年に一度の国際舞台。そして一発勝負だからこそ、
「この選手をこの舞台で見られるのは、さっきの、あの瞬間が最後だったのか」
そう感じられる瞬間があります。僕にとってそれは2024年6月25日のモドリッチでした。
クロアチア中の期待を背負う38歳の天才はPKを失敗。しかし、痩身の10番は、その直後のプレーで肉弾戦が繰り広げられるゴール前にいつまでも残り、こぼれ球を押し込む“らしくない“ゴールを決めました。
チームメートが折り重なるように祝福するその一番下にいるモドリッチにカメラがズームすると、泣いているように見えました。
その後、モドリッチをベンチに下げたチームは、ラストワンプレーでイタリアに劇的なゴールを許し、あっけなくモドリッチの今シーズンは終わりを告げました。
〇クロアチア vs イタリア │グループB MD3 3分ハイライト/UEFA EURO 2024™ サッカー欧州選手権【WOWOW】
その力のない瞳は、赤と白のチェック柄を着たモドリッチのプレーを世界の舞台で見られたのは、今日が最後だったのかもしれない……。多くのサッカーファンにそう郷愁を感じさせたことと思います。
その証拠に試合後のインタビューでは、対戦相手であるイタリアの記者が、
「今まで素晴らしいプレーをありがとう。僕が仕事をしてきたなかで最高の1人です。どうか引退を考えないでほしい」
というメッセージを贈りました。
モドリッチの返事は「グラッツェ」というイタリア語でのお礼に始まり、英語で、
「ありがとう。心の底からありがとう。私も永遠にプレーしたいと思っているが、おそらくシューズを脱がなくてはならない時が訪れつつある。まだプレーするだろうが、どれくらい長くかはわからない。それでも、ありがとう」
という答えでした。
レアル・マドリードで共に6度のCL制覇を成した相棒、トニ・クロース(ドイツ代表)が今大会での引退を表明したことも、みんなの頭にあったからこそ、
「モドリッチのプレーをもっと見たい!」
そう世界中のサポーターが思ったのだと思います。
彼の想像を絶する幼少期の苦労などは調べれば記事が出てくるので、僕が改めて書くことではなく、省略します。
ただ、彼や同じくクロアチアの英雄で
「サッカーを戦争だなんて言うやつは本当の戦争を知らないやつだ」
という、悲しくて重たい言葉を残したズボニミール・ボバン。同じく紛争を経験したボスニアの選手たち、現在のウクライナの選手たちの声は、活字で見るだけで苦しくて、「戦争なんて永遠にあってはならない」と改めて強く思うはずので、ぜひ読んで知ってください。
話を戻しますが、思えば僕は、運良く長くモドリッチという選手を見られたように思います。2006ドイツワールドカップの日本戦にも、わずかに出場していたモドリッチをはっきりと認識したのは、EURO2008でした。
当時は彼より有名で、一列前のポジションで10番を背負っていたクラニツァールとともに、テンポよくボールをさばく技術。そして、なにより運動量が豊富で走れる司令塔という印象でした。
彼のプレーは、運動量しかなかった僕の憧れになりました。大学に入ると、当時はまだ10番ではないモドリッチのユニフォームを買い、部屋にはスパーズ(トッテナム・ホットスパー)の彼のポスターを飾りました。
しかし、その憧れは自分がプレーするカテゴリーで、自分がプレーをするうえで、なんの役にも立たず……。
モドリッチのシャツを着ながら、本当に上手くてモドリッチみたいだった一個下のサトル(高二のとき、インターハイベスト16のチームでゲームメーカーをしていた)の手足となり、岡崎慎司選手のような(文脈的にはマンジュキッチのがわかりやすいか)泥臭いプレーヤーを目指して試行錯誤。それでもモドリッチへの愛は変わらず。