ワールドカップの舞台で生モドリッチを堪能
2012年に彼がレアル・マドリードに移籍すると、より多くのテレビで見る機会に恵まれました。
そして、2014年のブラジルワールドカップです。
日本代表が初戦を戦ったブラジル北東部のレシフェという街、そこから同じく北東部のナタウという街に僕が移動して数日。他の日本サポーターはコロンビア戦を見るためにはるか遠くアマゾンの方に移動するなか、僕は飛行機代がなく、1人ナタウに滞在していました。
そして、ナタウでイタリアvsウルグアイを観戦する予定日の前日。レシフェでメキシコvsクロアチアがやるという事実に、僕は思い立ってしまったのです。
レシフェとナタウは一度、高速バスで移動したから勝手がわかっている。ダッシュで帰ればギリギリ終バスに乗ってナタウの宿に戻れる。
もちろん、試合のチケットはない。でも、僕は気づいたら高速バスターミナルへ向かっていました。
いま思うと、とんでもない幸運でした。滞在している街からバスで数時間の距離は、ブラジルでは首都圏以外でまずないくらい近距離です。
そして本来、ワールドカップのチケットを、その場で定価で手に入れるなんて簡単なことではありません。しかし、この試合は真裏でブラジル代表が試合をしており、チケットがないのに訪れるブラジル人が少なく、またメキシコ人が多くのチケットを持て余していました。
モドリッチのユニフォームの上にジャージを着て、チェック柄を隠してチケットを定価で譲ってもらうと、アレーナペルナンブーコへ(余談ですが、ジュニーニョ・ペルナンブカーノの地元です)。
スタジアムは39000人のメキシコサポーターと、1000人にも満たないクロアチアサポーターという感じ。
夢にまで見た生モドリッチは豆粒のようでしたが、そのプレーは燦然と輝いていました。
チームとしては完全にメキシコが強く、さらに英雄・マルケスがゴールを決めて、メキシコはノリノリ。
メキシコ守備ブロックの前に、クロアチアの攻撃を司るラキティッチも、途中出場の若きコヴァチッチも突破口を見出せません。
しかし、モドリッチだけは違いました。グイグイとボールを運び、メキシコの中盤に割って入っては味方にパスをつけていくのです。
結局、試合はメキシコの勝利に終わったけれど、憧れの選手を真剣勝負の舞台で生で見られた唯一の思い出は、僕の中に今も残っています。
それから4年後。監督交代などでチーム作りが遅れていたモドリッチ率いるクロアチアは、不屈の闘志でそれ補うような素晴らしいプレーでW杯決勝の舞台まで勝ち上がりますが、僕はチケットが手に入らず。
さらに4年後。クロアチアは再び日本の前に立ちはだかるも、僕は帰国済みのため、憧れの選手を敵としてスタジアムで見ることは叶わず。
だからこそ、2年後のW杯。もしくは、僕が奇跡的なくらいに芸人として成功して、ベルナベウで。願わくばもう一度、その姿を。間に合え。