東京女子プロレス所属の上原わかな。夢を叶えるためにプロレスに挑戦するプロジェクト『夢プロレス』に2022年5月から参加。2023年1月4日、後楽園ホール大会でプロレスデビューを果たす。

さらに、2024年1月4日の後楽園ホールでは、『夢プロレス』でゲストコーチを務めたアジャコングと一騎打ちをおこなった。このアジャコングとの一戦を経て、プロレスラーとして大きな飛躍を遂げた彼女に、ニュースクランチがインタビューで迫る。

▲上原わかな【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

なぜ上原わかなはプロレスに挑戦したのか?

ひとつのジャンルが飛躍的にジャンプアップするときに必要なもの、それは「人材」である。

ここ数年、女子プロレス界の人気が上昇していくのに合わせて、さまざまな業界からたくさんの人材が流入してくるようになった。

元アイドルで現在もタレント活動を継続中の上原わかな、彼女もその一人なのだが、このタイミングで女子プロレスラーを志したおかげで、彼女はこのうえなく幸せな環境を手に入れた。

それは同期がたくさんいる、ということ。

2023年、東京女子プロレスのリングでデビューした新人は6人。これは近年、稀にみる大豊作、である。

同期との物語は、引退するまでずっとリング上で続いていくし、デビューしたばかりの頃は同期同士の切磋琢磨が加速することで、プロレスラーとしての成長も早くなる(結果、前座戦線も充実して、観客としては最初から最後まで満足度の高い興行を堪能できることになる!)。

さらに、2024年も新人が続々とデビューしているので、早くも後輩たちに追われる立場にもなった。旗揚げから11年目を迎えた東京女子プロレスだが、こんなにも恵まれた世代が誕生するのは、これが初めてといっても過言ではない。これはもう、黄金時代の予兆である。

ただ面白いのは“同期”といっても、みんなが同じ入口から同時に入ってきたわけではない、ということ。鈴木志乃はアップアップガールズ(プロレス)のオーディションに合格して、東京女子プロレスに参戦するようになったし、上原わかなはさらに特殊なルートをたどってプロレスラーになっている。

それはプロレス未経験の女の子たちを集めてのオーディション企画『夢プロレス』。約半年間に渡り、さまざまなミッションにトライし、その様子を毎週YouTubeにて配信(つまり、視聴者は女の子たちがプロレスラーを目指して成長していく様子を、リアルタイムで目撃することができた)。

そんな実験的な企画に、プロレス未経験どころか、プロレスを一度も見たことすらなかった上原わかなは、なぜ挑戦したのか?

「もともとアイドルとして活動していてメジャーデビューも果たしたんですけど、コロナ禍で仕事が激減してしまったんです。ライブはできなくなってしまったし、メディアへの出演も半分以下になってしまって、所属していたアイドルグループも解散になってしまって。その後、いちタレントとして活動していたとき、『夢プロレス』のお話をいただいて、これは自分を変えるチャンスかも、と思って挑戦しました。

プロレスはまったく見たことがなかったんです。私の家はちょっと厳しくて、バラエティー番組を家族で見ていても、ちょっと下品な展開になるとテレビを消されるぐらいで(笑)。

だから、プロレスを目にする機会がなかったんです。イメージとしては“野蛮”ですよね、アハハハ。一斗缶で殴る、みたいな。そんなイメージのまま、初めて会場で東京女子プロレスを見たから、本当にびっくりしちゃって。“こんなにカワイイ子たちが、あんなにキラキラしている!”って。それでプロレスに挑戦する抵抗はなくなりました」

実際、番組がスタートすると、現役アイドルのルックスのみならず、本気でプロレスに向き合う姿勢が、視聴者にも審査員にも高く評価された。だが、現役のトップレスラーの視線はシビアだった。サプライズで道場に現れたアジャコングは静かに「プロレスをナメないでいただきたい」と告げ、おもいっきり胸板にエルボーを叩きこむように指示した。

腰の入った、魂のこもったエルボーを打ってみろ。

アジャはまったくの無抵抗でそこに立っているだけだから、簡単なミッションである。でも、当時の上原わかなにはできなかった。悔しかった。泣きじゃくった。

「でも、あれで吹っ切れましたね。結局、それまではどこかに恥じらいみたいなものがあったんですよ。恥じらいなんて持ったままリングに上がったら、絶対にやられちゃう……あの日、アジャさんにたくさんのことを学んだことで覚悟が決まったし、吹っ切れました。頭で考えるんじゃなくて、魂をぶつけるんだって。

あの頃って舞台の稽古もしていたんですけど、アジャさんとの撮影が終わったあとから、稽古でも大きな声が自然と出るようになって自分でもびっくりしました。本当に殻を破ることができたんだと思います」 

そのアジャとは今年の1月4日、後楽園ホールで初の一騎打ち。執拗なスリーパーホールドでアジャを大いに苦しめた。プロレスを続けてきたからこそ紡がれたドラマは、これからもずっと続いていく。