東京女子プロレス所属の上福(かみふく)ゆき。芸能界から女子プロレスラーに転身した異色の経歴を持つ。ゼロからプロレスをはじめ、アンチに何を言われようとも信念を貫き、独自のスタイルでリングに上がって、今や人気プロレスラーの一人となった。そんな彼女の魅力を、ニュースクランチ編集部がインタビューで紐解いていく。
コンプレックスを活かしたくて進んだ道
「女子プロレスラーらしくない、女子プロレスラー」。それが上福ゆきである。身長173センチ。そして、なによりもスラッと伸びた長い脚。こんな女子プロレスラー、日本ではなかなかお目にかかれないし、いったいなぜ彼女は女子プロレスラーになったのか? ここに至るまでには波瀾万丈かつ紆余曲折な人生があった。
「産まれたときから4キロあって、ずっとデカかったんですよ。クラスでも常にいちばん大きくて。中学生のときアメリカに留学して、さすがにアメリカ人には私より大きい子がたくさんいるだろうと思っていたら、私のほうがでっかくて(苦笑)。ずっと、この背の高さがコンプレックスだったんです」
背が高い子は中学でも高校でも、あらゆる部活から引っ張りだこになる。バレーボールやバスケットボールで活躍することで、そのコンプレックスは解消されるものなのだが「そういう“背が高いヤツは、とりあえずスポーツをやらせておけ”みたいな大人の考え方が大嫌いだった」と、彼女はみずからスポーツに背を向けた。
そして、長身コンプレックスを財産に変えるべく選んだのが、芸能界への道だった。長身を活かしてのモデル活動、レースクイーンやグラビアアイドルなど華やかな道を歩み始めたのだが、どれもこれもうまくいかない。
それは、彼女の「人に媚びたくない」という信念が、さまざまな局面でブレイクを阻害してしまったから。このままではコンプレックスに押しつぶされてしまう。なんとかしたい! と当時の所属事務所に相談すると、2つの選択肢を提示された。
「ひとつは“エッチな仕事をする?”、もうひとつは“プロレスラーの高木三四郎に紹介しようか?”。あとひとつ、不動産関係の仕事も薦められたけど、それはもう私の中では聞こえないレベルの話で、事実上、二者択一ですよ。
つまり“エロいこと”をやるか“プロレス”をやるか? その二択を迫られて、私はプロレスを選んだ。その時点でプロレスを見たことがなかったから、アジャ・コングさんとアントニオ猪木さんぐらいしか、プロレスラーも知らなかった。だから、ヘンな恐怖心とかはなかったけど、たぶん痛いんだろうなって」
女子プロレス界の三禁を破ってアンチが増えた
その程度の理解のままプロレスの世界に入ってきてしまったため、最初はかなり苦労をした。ひたすら繰り返される受け身をマスターするための地味なトレーニング。誰よりも「効率」を意識している上福ゆきにとって、こんなに効率の悪い話もなかったが、受け身をちゃんととれるようにならなければ、プロレスラーとしてデビューできない。
「プロレスをまったく知らないから、基本的な動きもすべて見よう見まねでやるしかないんです。長身コンプレックスを克服するどころか、日々の練習では大きな体が、より自分自身にダメージを与えることになっていきました。遊ぶ余裕もなくなって、プロレスラーになってから、友達はかなり厳選されましたよ(笑)」
2017年夏、入門から約5か月後にデビュー。その際、高木三四郎大社長からある指令が出た。
「女子プロレス界って昔から三禁(酒、たばこ、男を禁じる不文律)があったんですよね? 私はそれすらも知らなかったんですけど、高木三四郎から“いずれ撤廃したいので、まず、かみーゆから三禁を守らない! と宣言してもらえないか”って。
たぶん、その場の思いつきだったんでしょうけど(笑)、私はなんにもわからないから、軽い気持ちで“いいですよ”って答えたんですけど、結果、アンチがものすごく増えました。というか、アンチしかいなかったんじゃないかな?」
女の子が健気にがんばる姿を応援する、というのが当時の女子プロレスの王道的な見方。そこに突如として現れたリア充全開の派手すぎる新人は、プロレスファンにとって眩しすぎたし、セクシーすぎる入場シーンも、まだ時代的には温かく迎え入れられるような存在ではなかった。
「あの頃はザ・体育会系の選手が多かったし、そこにパリピが現われたら、そりゃ、みんなアナフィラキシーショックを受けますよ(笑)。
ただ、私は“港区女子”みたいに見られて、実際に西麻布や六本木でも働いていましたけど、けっして派手な生活をしていたわけではないんですよ。給料の高い店を求めたら、西麻布や六本木になっただけ。銀座のほうが高い? あぁ、私は敬語ができないから銀座はムリ(笑)。
ただ、今となってはアンチばっかりで良かったと思う。もし、デビューからチヤホヤされていたら、私の性格上、長く続かなかったと思う。アンチばかりで悔しかったから“お前ら、いまに見てろよ!”という復讐の気持ちだけでプロレスを続けてきた。負けたままでやめるのだけはイヤだったから」