「声」を仕事にしたい人材が集まる『株式会社トークナビ』。元テレビ局アナウンサーが多く在籍している。しかし、今回、インタビューした田中晴子さんは、最終学歴が高校卒業の元バスガイド。四年制大学の卒業が条件であることが多いテレビ局のアナウンサーとは、ほど遠い場所にいた。

「小さな頃から夢だったアナウンサーの道を、一度は諦めた」と語る彼女。アナウンサーとして夢を叶えるまでの道のりや、好きを仕事にすることについてインタビューした。

▲Fun Work ~好きなことを仕事に~ <広報アナウンサー・田中晴子>

小学校“らしくない”放送室から始まった

「声」を使い幅広い業務をこなす田中さんに、アナウンサーになりたいと思ったきっかけを聞くと、小学生時代の出来事について語ってくれた。

「私のアナウンサーになる夢は、小学校の放送室から始まりました。通っていた学校の放送室が少し……いや、かなり特殊でして。放送の機材に1カメ、2カメがあったんですよ(笑)。ミキサーもあって、本当にテレビ番組みたいな放送ができるんです。公立の学校なのに不思議ですよね」

当時から目立つのが好きだった田中さんは、迷わず放送委員会に入ったそう。

「お昼の校内放送を担当したときに、クラスメイトや先生から“晴子の声いいね”、“アナウンサーみたい!”と言われまして。私、その言葉が本当にうれしかったんですよ。途端に“もっと褒められたい”“得意なことを伸ばしたい”という思いがあふれて、小学生ながらに『声』を仕事にできるアナウンサーを目指し始めました」

それから田中さんは、中学校でも放送委員会に入り、まっすぐアナウンサー道を突き進む。独学で原稿を読む力を鍛え続け、高校ではアナウンス力を競う大会で上位入賞。関東でおこなわれた大型イベントでは、総合司会を務めるほどにスキルを高めていった。

「高校は、文化放送の元アナウンサーである青柳秀侑先生が在籍している学校を選びました。放課後に、先生から声のレッスンを受ける日々が、私の青春でした。

そういえば、あとで周囲から聞いた話なのですが、私が初めて放送室を訪れたとき、部屋に入ってくるや否や“私はアナウンサーになります!”と自己紹介よりも前に言い出したらしいです(笑)。あまりにもまっすぐ前を見すぎて、もはや漫画の主人公みたいな気分だったのかもしれません」

▲高校時代からアナウンサーへの道をいくためにまっすぐだった

アナウンサーではなくバスガイドを選んだ理由

アナウンサーへの道を迷いなく続ける田中さん。しかし、彼女は高校卒業後、アナウンサーではなくバスガイドへ就職をした。なぜアナウンサーの夢を諦めてしまったのか、その理由を聞いた。

「テレビ局のアナウンサーになるためには、四年制大学を卒業していることが前提条件であることが多いです。6人兄弟の3番目だった私は、親が私たちの教育にたくさんお金を使ってくれていることを知っていました。これからのことを思うと、親に負担をかけたくないという思いもあり、アナウンサーの夢からはいったん離れて、就職してお金を稼ぎながら自分の道を探そうと思いました」

懸命にアナウンサーの道を突き進んでいたのに……しかし、彼女は前向きな言葉を続けた。

「バスガイドでも、私の夢を叶えられると思ったからです! 当時、それまでの道を振り返ったときに、私は“声を使う仕事がしたいんだ”ってことに気づけたんです。つまり、アナウンサーだけが私の生きる道ではなかったんです。なので、『声』を仕事にできるバスガイドで働けることに対して、悲観せず前向きに捉えていました」

実際に、バスガイドとして働き始めて、どのような経験ができたのかを尋ねてみた。

「バスガイドの仕事では、自分の『好き』をさらに発見できました。アナウンスをしているときに、お客さまが自分をパッと見てくれて、しっかりとレスポンスをもらえる。その一連の流れにやりがいを感じることに気づけたのは、バスガイドで働いたからこそだったと思います」

バスガイドとして働き出した当初は、表現力や感受性のとぼしさを上司から指摘されることが多かったという田中さん。しかし、バスガイドでしか得られないスキルを吸収すべく、持ち前のまっすぐな努力をフルに活用し、改善を繰り返した。ただただ、声を使う仕事に夢中になっていった。