濱野将大(はまのまさひろ)と、へんみ亮介(へんみりょうすけ)によるお笑いコンビ・ハマノとヘンミ。芸歴6年目ながら、昨年の『UNDER5 AWARD』で決勝に進出し、独特の世界観で繰り出すコントで着実に活躍の場を広げようとしている。また、へんみ亮介は『R-1グランプリ』準決勝へ2年進出するなど、個人での活躍も光る彼らにインタビューを敢行。芸人を始めた経緯やライバル視する芸人など、たっぷりと話を聞いた。

▲ハマノとヘンミ(へんみ亮介、濱野将大)【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

緊張しいの濱野と家にテレビがなかったへんみ

――まずは、お二人が芸人を目指した理由から教えてください。

濵野将大(以下、濱野):もともと人前は苦手だったんですけど、人を笑わせるのは好きで、親や近しい友達を笑わせてました。剣道を18年やっていたこともあって、将来の夢は警察官だったんですが、試験を受けて落ちちゃって……父と同じ職業という理由だけで、ホテルマンになりました。でも、やっぱり自分が本当にやりたいことをやりたいと、2か月で辞め、お笑い芸人を目指したんです。

――今でも人前は苦手だとおっしゃってましたね。

濱野:はい、めちゃくちゃ。その悩みが芸歴6年目になってもあります。

へんみ亮介(以下、へんみ):でも、ネタのときだけは大丈夫。

濱野:剣道をやっているときも竹刀を落としちゃって、中学最後の大会は反則負けで終わったり……本当に緊張しいなんです。

――ラジオを聞いていると、濱野さんが緊張しいというのは想像つかないです。

濱野:ラジオは家で収録しているので、自分のテリトリーだと最強なんですけど、一歩外に出ると手も足も出ない…(笑)。

へんみ:僕は小さい頃から、兄の影響でずっとバラエティを見ていて、お笑いも好きでした。ただ、中学生の頃にアナログ放送が終了して地デジに切り替わったんですけど、親父が厳しい人で、“いい機会だから、このままテレビなしの生活にしよう”と言って、1年半近く家のテレビが砂嵐だったんです。

当時はエンタの神様とかネタ番組が全盛期、ドラマは月9がすごかったし、学校でみんながテレビの話を楽しそうにしているんですけど、僕は見れないから、新聞のラテ欄をチェックして、ゲストの名前やドラマのタイトルだけを見て、想像して話を合わせてました。

――(笑)。特殊なエピソードですね。

へんみ:そうなんですよ。テレビが見られないので、ビデオに録画していたドリフターズや志村さんの番組を繰り返し見ているうちに、気づいたら芸人になりたいと思ってました。ただ、両親ともに教師で、僕も大学に行かせてもらって教員免許まで取った、いわゆる真面目な教員一家だったんです。

でも、やっぱり一度は芸人の世界を覗いてみたくて、養成所の学費を親に黙って貯めて、大学を卒業して就職せずに養成所にいきます、というところで初めて打ち明けました。案の定、すごく怒られて……。今でも口では頑張って、と言ってくれますけど、100%は応援してくれていないと思います。

濱野:こう言いつつ、へんみの兄貴はボディビルダーなんですよ。だから、兄弟できちんと働いていない。

へんみ:そんなことねえよ!

濱野:でも本当に特殊じゃない? 教員の家庭とは思えないよね?

へんみ:まあ、たしかに。真ん中の兄貴は普通の会社員だったんですが、趣味で筋トレを始めたらどっぷりハマって、気づいたらボディビルダーになってました。あと、従姉妹はすごく真面目な3姉妹だったんですけど、一番下が小学校の先生をやりながら、筋トレにどっぷりハマって、こっちも気づいたらボディビルダーになってたんですよ。

濱野:なんで近いところに2人もボディビルダーがいるんだよ! 変な話だよ!

志村けんさんにアポ無しで会いに行く

――へんみさんは『大悟の芸人領収書』(日本テレビ系)でも話してましたが、志村けんさんに憧れていて、実際に志村さんの舞台『志村魂』を見に行って、その熱意が通じて御本人にお会いしたことがあるんですよね。

へんみ:はい。アポ無しで行ったので、初日は当然のように怒られて門前払いだったんですが、それも見越して2日目のチケットも取っていて(笑)。“今どき珍しい”と事務所の方のご厚意もあって、楽屋に通されてお言葉まで頂戴しました。本当はずっと志村さんに弟子入りをしたいと考えていたんですが、今はそんな時代ではないことも知っていましたし、ダチョウ倶楽部さんも大好きだったので、太田プロに入ったんです。

そこで志村さんからは「太田プロに入ったなら、まず俺じゃなくてダチョウ倶楽部のことをもっと好きにならなきゃダメだよ」と言っていただいて。結果的に、それが最後の『志村魂』になってしまったので、とても悲しいですが、何にも代えがたい大切な思い出です。

濱野:僕は、おぎやはぎさんに憧れてたので、最初は人力舎に入ろうとしていたんです。太田プロに好きな芸人さんはいなかったので……。

へんみ:お前、すごいな! マネージャーさんが隣にいるんだぞ!

濱野:いやいや! 太田プロに入って、どんどん好きになっていった感じです。

――(笑)。芸人を目指した経緯がわかったところで、ハマノとヘンミの結成の経緯も教えていただけますか?

へんみ:養成所での出会いがきっかけですね。最初の自己紹介のとき、やっぱり尖っている子たちがたくさんいて、「モノマネやります」「一発ギャグをやります」と自己紹介をしていくなかで、濱野は普通に自己紹介をしたんです。“なんか面白そうな人だな”と思って僕から声を掛けたんです。

濱野:当時は今よりも人前で話すのが苦手だったんです。

へんみ:そのときは、濱野はすでに別の人に声を掛けられていて、断られてしまって。じゃあ、別の人と組むかと思ったんですけど、2〜3週間後に「1回やってみない?」と濱野から言われて。理由を聞いたら、最初に組んだ相方が変なネタを書いてきたらしくて。

濱野:僕の腕を舐めるとか噛むとか、気持ち悪いネタを書いてきたんですよ。もともと、別の事務所の養成所にいた子だったんですけど、1年間、勉強したとは思えないネタだったので、これは信用できないなって(笑)。