新喜劇での型破りなキャラクターとは裏腹に、島田珠代は深い孤独と戦い続けてきた。娘との別離、母としての葛藤、芸人として笑いを提供しながらも、心の奥底では涙を流す日々。多くの人が彼女のギャグに救われた一方で、彼女自身も笑いに逃げ込むことでしか自分を保てなかったという。

舞台の上では決して見せることのなかった弱さ、悲しみ、そしてその先に見出した希望――「今だからこそ、自分の全てをさらけ出してもいい」と決意した島田珠代が、芸人として、そして母として歩んできた54年の人生を振り返る。

▲島田珠代【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

自分を語る転機となった『徹子の部屋』への出演

新喜劇では奇抜なキャラを演じることが多い島田。そんな島田が、今回、自身初となるエッセイ『悲しみは笑い飛ばせ! 島田珠代の幸福論』(KADOKAWA)を発売した。素顔をさらけ出そうと思ったのは、どういった理由からだったのだろうか。

「お笑い芸人には喜怒哀楽がつきものだと思うんですけど、哀とか楽とかっていうのを表に見せるのは小っ恥ずかしかったんです。苦労したとか、泣いたとか。私、泣き虫だから、泣いてしまったら“しまった…!”と思っちゃう、それで笑いが減ると思ってました。

でも『徹子の部屋』に出させてもらって、赤裸々に話したとき、周りの方たちからは“おもしろかった”と言ってもらえたんです。滑稽な役の三枚目キャラが、プライベートな一面を見せてもいいんだと思えたのが大きいです」

島田は複雑な過去を抱えている。それゆえに、素を知ってもらいたいとも思った。

「娘が小さい頃は、一緒にいることが少なかったんです。別れた前の旦那さんがガンになってしまい、娘と一緒にいさせてほしいと言われて、離れて暮らしていたので。それから10年弱は、娘といつでも会える状況ではなく、その時期はツラかったですね。舞台に上がっているときだけ、全て忘れることができたんです。

でも、舞台を降りたら、やっぱり考えるのは娘のこと。毎日毎日、身の切れるような気持ちで、思い出しては“ウワーッ!”と一人で泣くというのを繰り返していました。そこからまた、舞台に上がる前にグッと気持ちを盛り上げる作業がすごくしんどかった。そのときのことを知ってもらいたい、というのもありました」

さらに、SNSが普及したことで素を出すようになった芸人も多い。そんな風潮も後押しした。

「もう54歳のおばちゃんで、半世紀過ぎてるし、皆さんに私自身のことを知ってもらってもいいかなっていうのはありますね。昔はSNSもなくて、プライベートは見せずに、おもしろい部分しか見せてなかったけど、今はそういう時代でもなくなってきましたし」

そして、容姿いじりをネタにしている島田珠代、という役を演じていたからこその理由もある。

「ファンレターのなかには“自殺しようと思っていたけどやめました”とか、“不細工って言われても、珠代さんのように生きていきます”とか、そういう内容も多いんです。そういう人たちが本を読んで、楽な方向になっていけばうれしいですね」

▲私のエッセイが悩みを抱えた人の助けになれば、と語る。

「すごい時代だった」ダウンタウンの人気ぶり

芸歴36年、現在では新喜劇の看板として活躍している島田。彼女の芸風の確立は、心斎橋筋2丁目劇場の芸歴スタートまで遡る。

「当時は男性芸人さんの人気がすごくて、お客さんは女子高生だらけ。印象に残っているのが、ダウンタウンさんが『4時ですよ〜だ』〔※ダウンタウンの知名度を一気に押し上げた関西ローカルの平日夕方帯番組〕の出演終わりに東京へ向かうとき。劇場を出たら、二人が乗る予定のタクシーにファンの方たちが群がっていて近づけない。

そこで、スタッフの人が網にバレーボールを入れてブンブン振り回して、ファンの方たちを散らして、その振り回した網の下に二人を入れてタクシーまで行くんですよ! 今じゃ考えられない(笑)。それでもファンの方たちは二人に触りたいからグングン前に来て、バレーボールがバンバン顔に当たりながらも触ろうとしていた。すごい時代ですよね」

そんな環境のなかで、島田は“可愛い”と言われることを嫌うようになっていった。

「女性芸人は劇場のトイレではなく、劇場が入ってるビルの、一般の人も使用するトイレを使っていたんです。そしたらある日、ライブが終わってトイレに行ったら、ある女性芸人の方が20人ぐらいの女子高生に“あんた! 今田さんに触りたいから芸人になったんじゃないの?”と囲まれて詰め寄られていて。あれを見た日から、私は“可愛くなかったら敵として見られないだろう”と、あえて“可愛い”を嫌うようになっていきました」

▲可愛いを嫌うことによって自分の立ち位置を確保していった

そんな島田を慕う後輩芸人も多い。唯一無二の芸風はどのように確立してきたのだろうか。

「ありがたいことに“どうしたら珠代姉さんにみたいになれますか?”とよく聞かれるんですけど、そこで言うのは勇気の2文字だけ。迷ったときにグッと前に出る勇気。そのあとにやるギャグがウケるかは知りませんけど、ただスベるにしても、怖がらず前に出る勇気から笑いは生まれるものだ、と思っています」

新喜劇というチームで作り上げる空間。その独特の空気のなかで一歩前に出るのは、かなり勇気が必要なのだろう。

「前に出ないと自分の立ち位置を確立しづらいんです。そして私は“珠代姉さんみたいになりたい!”と入ってきてくれる子がいると燃えるんですよ。“私のほうがやれるぞ!”って(笑)。“ずっとプレイヤーとして戦っていくぞ”という気持ちがないと、生き残っていけない世界だと思います」

芸歴や年齢は関係ない。おもしろいものを作っていきたいという島田珠代らしい言葉だった。