いしる(いしり)

くさい度数★★★

イカの腸(コロ)を集めて塩漬けし、そのまま置いておくと塩に耐性のある乳酸菌や酵母が働いて発酵が進み、3年ほど経ってからそれを漉(こ)すと、きれいな琥珀(こはく)色の汁が得られる。これがいしるである。

いしりと呼ばれることもあるが、大昔から能登半島を中心とした日本海沿岸でつくられてきた伝統的な魚醬(ぎょしょう)のひとつだ。

イカの塩辛と腸 イメージ:PIXTA

発酵の過程でイカの腸に含まれているたんぱく質が分解されて、うまみのもとになるアミノ酸やペプチドがたくさん生じるため、味は濃厚でとにかくうまい。一方で、主にベタインとかタウリンといった、イカの腸のたんぱく質が発酵微生物によって分解されることから、独特の強烈なにおいが生み出される。

それはくさやのようなウンチっぽいにおいではなく、肉感的というか、ちょっと猥褻(わいせつ)な、そそられるような感じのエスニックなにおいである。

具体的には、タイの「ナン・プラー」やベトナムの「ニョク・マム」などの魚醬に近いにおいで、「ゴルゴンゾーラ」や「スティルトン」といったブルーチーズのにおいにたとえる人も多い。

とにかく強烈なにおいなので、煮ものや炒めものなどにちょっと加えただけで、独特の発酵臭が湧き立ち、好事家にとってはたまらない逸品に仕上がる。鍋に入れるのもおすすめだ。

いしる貝鍋 イメージ:PIXTA

作家の故・井上ひさしさんは、これが大好物だった。井上さんとは、山形県西山町での農民ゼミで何度かご一緒したが、いつもいしるの話で盛り上がった。

井上さんは完全な夜行型で、家族が寝静まったあと、夜中に執筆するのが常だったが、仕事の合間にチャーハンや焼きそばなんかをつくって、いしるをちょっとふりかけて食べることが大いなる喜びだといっていた。

いしるのにおいを夜中に嗅ぐと、思わずニヤリとしてしまうというのである。まさに大人の微笑みを誘う、じつにほほえましい話である。

いしるの食べ方はさまざまだが、ここでは「べん漬け焼き」という非常におもしろい料理法を紹介しよう。

タクアンの糠(ぬか)みそ漬けを糠から掘り出してきて、さっと糠を洗い流す。表面の水気を布でふいたら、いしるを刷毛(はけ)で塗り、それを炭火で焼くのである。漬物を焼いて食べるというのは、おそらく世界を見渡しても他に類がないのではなかろうか。

このべん漬け焼きがおもしろいのはそれだけではない。食べたとき、タクアンの味がしないのである。見た目はタクアンだし、食感もタクアンなのだが、味はまるまるイカなのである。

タクアンの香味もかなり強烈なのに、そのタクアンに刷毛で塗ったイカの腸の発酵品、すなわち、いしるの味に凌駕(りょうが)され、完全にイカ焼きと化してしまうのだ。焼いているときのにおいも同様で、祭りの屋台で売られているイカ焼きのにおいそのものである。

タクアンを食べてイカの味がするとは、なんとも不思議な感覚だ。1粒で2度おいしいといった感じ、ひと切れで、ごはん2杯は軽くいけるおかずである。

自らを“発酵仮面”と称し、世界中の魚醤(ぎょしょう)を食べつくしてきた小泉教授に、それぞれの「くささ」の度合いについて星の数で五段階評価してもらった。 発酵食品は宿命的に、くさいにおいを宿しているが、それこそが最大の個性であり魅力なのだ。

「くさい度数」について
★あまりくさくない。むしろ、かぐわしさが食欲をそそる。
★★くさい。濃厚で芳醇なにおい。
★★★強いくさみで、食欲増進か食欲減退か、人によって分かれる。
★★★★のけぞるほどくさい。咳き込み、涙する。
★★★★★失神するほどくさい。ときには命の危険も。

※本記事は、小泉武夫:著『くさい食べもの大全』(東京堂出版:刊)より、一部を抜粋編集したものです。