ニョク・マム

くさい度数★★★★

東南アジアでも、じつにさまざまな魚醬(ぎょしょう)がつくられている。ベトナムにはニョク・マムがある。

現地の言葉で「ニョク」は液体を意味し、「マム」は魚介類の発酵食品の総称だから、ニョク・マムは魚介類の発酵食品から得られた液体、すなわち魚醬のことである。

ベトナムは海に面しているだけでなく、メコン川を代表とする多くの河川と巨大なデルタ地帯が存在するため、海水・淡水の魚介類の宝庫で、魚醬づくりには最高の地といえる。貝やエビ、カニのほか、カエル、ザリガニ、タガメなどを原料にした魚醬もある。

その中でも最もポピュラーなのが雑魚(ざこ)に塩を加え、8ヵ月ほど発酵・熟成させてから搾って濾過したニョク・マムだ。

ニョク・マムは、ベトナム人にとっての万能調味料で、煮ものや炒めもの、スープの味付けのほか、春巻きのつけダレ、フォーの味付けなどさまざまな料理に使われる。

各家庭では、ニョク・マムに、ニンニクやトウガラシ、ベトナムラッキョウ(エシャロット)、ライムジュース、砂糖などを混ぜて、ニョク・チャムという自家製のつけ汁として汎用しているケースも多い。日本の大豆醬油と同じである。

ベトナム料理 イメージ:PIXTA

日本の醬油かけごはんのように、ニョク・マムをそのままごはんにかけたり、粥(かゆ)にニョク・マムをかけたものを離乳食にすることもあり、まさに国民的調味料といえる。

ただし、日本の大豆醬油と大きく異なるのは、強烈なにおいである。ニョク・マムのにおいは凄まじく、車で道路を走っていても、どこかでニョク・マムを製造していたりすると、鼻で嗅ぎ分けてそこへたどりつくことができるほどだ。

ニョク・マム大好きの私は、そんなにおいに惹かれて、その発生源にわざわざ立ち寄ってみたりするのだが、何度目かのベトナム旅行の際、南部のカントーというところで、珍しいニョク・マムに出合った。原料は小型の川ガニで、次のようなワイルドな醸造法でつくられていた。

まず、バケツ2杯分くらいの生きた川ガニを石臼の中に入れ、野球のバットのような太い棒で容赦なく上から搗(つ)いていく。棒で搗かれた川ガニはグシャッ、グシャッという無残な音と共にぺしゃんこにつぶされ、途中、何度か塩が放り込まれてさらに搗いたり、攪拌(かくはん)したりしているうちに、石臼の中はカニの体液と塩でどろどろになる。

それを今度はバケツに入れて仕込みがめの中へ移し、また石臼の中に別の生きた川ガニを入れて棒で搗き、かめへ移す、といった作業を何度も繰り返しながら、かめの中を満タンにして最低8ヵ月ほど発酵・熟成させる。2〜3年発酵・熟成させてから出荷する製品もあるという。

滴るニョク・マム イメージ:PIXTA

こうしてできた川ガニのニョク・マムも、一般のニョク・マムと同じようにさまざまな料理に使われる。これもカニの濃厚なうまみが凝縮されていてとてもうまいが、しかしひどくくさい。だがこのくささがうまみを相乗させるので、全体がたまらなくうまいのである。

自らを“発酵仮面”と称し、世界中の魚醤(ぎょしょう)を食べつくしてきた小泉教授に、それぞれの「くささ」の度合いについて星の数で五段階評価してもらった。 発酵食品は宿命的に、くさいにおいを宿しているが、それこそが最大の個性であり魅力なのだ。

「くさい度数」について
★あまりくさくない。むしろ、かぐわしさが食欲をそそる。
★★くさい。濃厚で芳醇なにおい。
★★★強いくさみで、食欲増進か食欲減退か、人によって分かれる。
★★★★のけぞるほどくさい。咳き込み、涙する。
★★★★★失神するほどくさい。ときには命の危険も。

※本記事は、小泉武夫:著『くさい食べもの大全』(東京堂出版:刊)より、一部を抜粋編集したものです。