記憶に突き刺さる母からの強烈なメッセージ
続いて、精神科を意識的に遠ざけがちな日本人のマインドセットについて考えてみましょう。私が精神科や心の病気について初めて強く意識したのは、中学生の頃でした。
当時暮らしていたマンションの集合ポストから、母と一緒に、わが家あての郵便物を取り出そうとしていた時のこと。別の階に住む人あての封書が、誤ってわが家に配達されていることに気づきました。
「お母さん、この手紙はうちへのものではないよ」
そう言って、誤配された手紙を母に差し出すと、彼女の顔色が一瞬にして変わったのです。そして、まるで「見てはいけないもの」を目にしてしまったかのような、緊張した空気が私たちの間に流れました。
母は、宛名欄に書かれた名前を頼りに、正しいと思われる部屋番号のポストへ、その手紙を入れました。そして、私の手を引いて足早にそこを立ち去ったのです。その封書には、差出人としてある精神科の病院名が書かれていました。
自宅に足早に戻った母は、私にこう告げました。
「○階の○○○号室の○○さんには、気をつけたほうがいいよ」
その時の母の厳しい表情は、今も私の瞼に焼き付いています。
正直なところ、当時の私には「精神科」の役割や、精神科からの手紙を受け取るということがどういうことか、あまり理解をしていませんでした。ただ、「精神科と付いたものには決して近寄ってはならない、見聞きしてもならない」という母からの強烈なメッセージを感じたのです。
今振り返ると、母の態度は明らかに、精神科への無知から来る不安や恐れといった「偏見」、さらに言えば「差別」にほかなりません。そのような母の娘が、心を病んだ人の治療に尽力するサイコロジストとして活動をしているのですから、不思議なものです。草葉の陰で、さぞかし母も驚いていることでしょう。
精神科への偏見が自殺率を上げている
もちろん、今は亡き母親の無知を、成長した私が「責めたい」というわけではありません。世間の人たちの精神医療への無理解は、当時の時代的な流れでもありました。しかし今日では、事情はまったく変わりました。
これだけ情報があふれている環境で、また人権意識が飛躍的に高まっている社会の中で、精神科に通っている人をさげすんだり、忌避したり、はたまた興味本位の視線で眺めることは、道義上許されてはならないことだと感じます。これは私がサイコロジストだから訴えたいというわけではなく、ひとりの人間としての意見です。
このような日本の「陰湿」とも言える偏見は、悲しむべきことに感じられてなりません。社会全体の目に見えない差別意識が、精神科の受診が不可欠な人を苦しめたり、治療の機会を奪うことになってはいけないのです。
私から日本の皆さんにお願いしたいのは、精神科への偏見を「いったんクリアにしてほしい」ということです。
精神科を受診することをためらったせいで重症化したり、自殺や他殺に至るなど痛ましい事件が引き起こされることもあるのです。また日本人の自殺率の著しい高さを見るにつけ、精神科に携わる医療者が、精神医療の予防の分野でもっと尽力できるのではないかと残念に思えてなりません。
自殺率の高さは、大きな視野で考えると、本稿の読者であるあなたにも直接関わってくる問題です。例えば「○○さんが精神科に通っている」と知った時。あなたは、その心に素直に寄り添うことができますか?
極端なことを言うと、特に励ましの声がけをしてあげてほしい、というつもりはありません。ただ、その人の回復を、心の中で願ってあげてください。また、あなたの周りに「様子がおかしい」と感じられる人がいたら。精神科への受診をスマートに提案することができれば、理想的です。