新型コロナウイルスの感染拡大により、遊戯人口950万人〔2019年「レジャー白書」調べ〕を誇るパチンコ業界も大きな打撃を受けています。また一部メディアの過熱報道により、「パチンコは違法だ」「なくなってしまえばいい」などの過激な意見も飛び交っていますが、本当にそうでしょうか?

パチンコは大衆の娯楽として、社交場として、時には震災時の避難所として、私たちの生活に密着してきました。その証にユーザーは「パチンコ・パチスロ」という共通言語のもと、たくさんの楽しい思い出を共有してきました。

そこで今回は、1GAMEてつ氏が主催するオンラインサロン『遊び人ギルド』のメンバーの皆さんの協力を得て、「パチンコ・パチスロで興奮したあの瞬間」をプレイバックしてみました。こんな時だからこそ、パチンコの魅力を再発見しましょう!(機種名など原文そのままで掲載しています)

昭和の香りが色濃く残る「1990年代の思い出」編

昭和の香りが色濃く残る「1990年代の思い出」編

学〇の頃、母親の横で打った「フィーバークィーン」。当時、小遣い稼ぎでちょこちょこ一緒に打ってました。まだ、大らかな時代で同じような家族連れも沢山いました

初めて打ったのは子供の頃ですね。チューリップ台でした。島の端まで玉を借りに行きましたね。子供が打っても叱られない時代でした

ちっちゃい頃から、親父に連れられ見るだけでしたが、〇学〇かな? 「ニューギンのエキサイトコンバット」で初実践しました(笑)。

初めて打ったパチンコは、神戸の春日野道のパチ屋で打った「エキサイト」か「ドリームジャンボ」だったと思います。4桁デジタルで7は3個それ以外は4つ揃うと大当たり。羽根物は「ニュートキオ」ですね。パチスロは「スーパーリノ」だったような気がします。すぐやめました。そういえば当時は、サンドの下の口の部分から出てくる玉を手で受け止めて入れてましたねぇ。出口を手のひらで押したら出て来るんですよね。

「エキサイトジャック」の保留3のリーチは、連チャンするかしないかの瀬戸際だった事もあり、あの興奮は忘れられません。だいぶ古い記憶ですが、またこうして楽しめる日が来ることを願ってやみません。

ビッグ1回でスタンプ1個のホールで、スタンプ110個貯めて「ハードボイルド」の設定6を予約した時。何故か5万使わされましたが1万3千枚出ました。

「CRルパン三世」(初代)。不二子のパンツ予告が大好きでしたね。白だと普通、黒だと激アツ!チラッとみえるあのパンツの色に夢中になりました(笑)。自分が初めて携わった機種がホールに設置されたときは興奮しましたね。ちなみに、その日を結婚記念日にしました(笑)。

「名機エイトマン」。知る人が知る名機。今となっては理解不能な2コマリールと成立ライン。こいつも多くを語ることはないですが、リプ連からの「助けてエイトマーン!!」がたまらんでした

今でも「海物語」のリーチの声から魚群が出るまでの僅かな間と、出た瞬間は興奮します(笑)。当たる当たらない結果には拘りません(笑)。あの一瞬がたまらない。

かなり打ち込んだのは、羽根モノですね。機種は問わず、とにかく片っ端から打ってました。学生時代は4号機を打てるほど金の余裕なくて……羽根モノは、釘見て打てば勝てましたからね。少なくともタバコには1度も困りませんでした(笑)。羽根モノ様様です(笑)。