もし陛下の戦いがなければどうなっていただろうか
昭和61年は、内閣法制局長官が「大嘗祭は国の行事としては行えない」と明言していた時期である。「皇室の私事」として内廷費で行おうにも、予算はあまりにも乏しい。
後奈良天皇について言及された背景には、畏れ多いことながら、御自身も後奈良天皇のように政府の支援を得られず、大嘗祭を挙行できないかもしれないが「国民と苦楽をともに」ひたすら写経して祈りを捧げられた後奈良天皇の御事績に倣って、国民の安寧を祈り続ける御覚悟をお持ちだったのではないかと思わずにはいられない。
もし、陛下の戦いがなければどうなっていただろうか。歴史や皇室の伝統に一切触れないままで、単に「日本国憲法を守る」とだけおっしゃっていたら、あるいは、日本国憲法あっての皇室というようなことを一言でもおっしゃっていたらどうなっていただろうか。
「昭和天皇の戦争責任は私には関係ない」とか、あるいは「やはり昭和天皇には戦争責任があった」とおっしゃっていたらどうなっていただろうか。
今でこそ、いわゆる東京裁判史観について、さまざまな見直しの議論が出てきているが、もし陛下の戦いがなければ、こうした議論は「現に天皇陛下が東京裁判を認めていらっしゃるではないか」と言われて終わりである。
もし陛下が、昭和天皇との断絶をお言葉の中でお認めになっていたら、昭和20年8月15日に革命が起こった、終戦を以て国体は断絶したのだという、宮澤俊義の「八月革命説」が追認されることになっただろう。そうなれば戦後の皇室は、もはや戦前の伝統に倣う必要はないという結論になりかねなかった。
今回、御譲位に際して、二百年前の光格天皇までさかのぼった議論ができたことは、陛下が戦い続けてくださったおかげなのである。
問題は、上皇陛下のこうした思想的な戦いを、特に宮澤憲法学や内閣法制局との戦いを、国民の側、特に政府要路の側がほとんど理解できていないように見えることだ。はたしてそれでいいのだろうか。
※本記事は、江崎道朗:著『天皇家百五十年の戦い』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。