プロ野球史に数々の伝説を残してきた江夏豊氏。現役時代はもちろん、引退後も積極的に現場に赴き、常にプロ野球の「今」を見続けてきた。投手のレベルは年々上がっていると言われているが、その中でも平成以降に活躍した投手2人をピックアップしてもらった。

※本記事は、江夏豊:著『名投手 -江夏が選ぶ伝説の21人-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

松坂大輔:日米で頂点を極めた野球の申し子

私は最近の「球数制限」という言葉、大変寂しいと感じる。「1週間で500球以内」とか、高野連が決めた公式のルールがあるだろうし、語弊があったらご容赦願いたい。

私見ではあるが、なぜ、大人がそこまで高校生に関与しなくてはいけないのか。本番で「生きた球」を120球ほおるには、練習のブルペンでその倍をほおらないと。たとえば200球を3日間投げさせる。1日、2日休ませる。そういう粘りとかリズムを作らないと、いざ本番で「7回スタミナ切れ、完投できません」ということになる。

なぜ松坂君(松坂大輔)があそこまでヒーローになったか。いまでもヒーローなのか。98年の夏の甲子園。「限界に挑む姿」が見る者の心を揺さぶったからだ。

PL学園高との延長17回の死闘。250球完投勝利。試合終了後、PL学園高のナインがみんな松坂君に握手を求めた。あんなシーン、初めて見た。「思い出」は他人に押し売りできない。でも、あれは今でも観戦者の思い出に深く残る。胸に、まぶたに、脳裏に焼きついているのではないか。

決勝戦では嶋清一さん(海草中)以来、59年ぶり史上2度目のノーヒットノーランで、春夏連覇を達成した。

私は甲子園の土を踏めなかった。だから、甲子園出場を果たした選手には畏敬の念を抱く。甲子園の開会式は神聖なものであり、テレビの前で正座をして臨む。

なかでも甲子園の大ヒーローだった松坂君は、私の憧れだ。ストレートが速い、スライダーは力強く曲がる、馬力もある。あれだけの球数をほおれるのは精神力の強さ。

 

松坂君が西武に入った1年目の高知市・春野キャンプ。中腰の捕手に200球以上投げた。捕手を座らせてなら誰でも投げられる。中腰だと、低目にワンバウンドしてはいけない。高目にスッポ抜けてもいけない。それをビシーッと200球以上続けるのは、肩の強さが、スタミナが、何よりそこに投げるんだという強い精神力が必要だ。すごい子だな、と驚いた。

99年プロ初登板、片岡篤史君(日本ハム)に投じた155キロで鮮烈デビュー。5月のイチロー君(オリックス)との初対戦では3打席連続奪三振。「プロでやれる自信が確信に変わりました」(松坂)という、けだし名言を残した。

結局16勝。「高卒新人最多勝」は54年宅和本司さん(南海)以来45年ぶり。続いて史上初「高卒新人3年連続最多勝」も成し遂げた。

04年には中日との日本シリーズを制し、日本一を経験。06年・09年WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で世界一、連続MVP。08年レッドソックスで18勝3敗(94与四球はア・リーグ最多)、07年にワールドシリーズを制し、日米の頂点を極めた初の日本人選手となった。

▲松坂大輔 出典:ウィキメディア・コモンズ(Photo:Keith Allison 2008)

今年「不惑」の40歳。若いときのような球はいかない。しかも右腕のしびれで、7月に右頸部を手術。全治2〜3カ月。

ただ、松坂君は投げることに関して「野球の申し子」だ。普通の人には真似できない「何か」を持っているはずである。