「こども哲学」の普及に取り組んでいる立教大学の河野哲也(こうのてつや)教授と川辺洋平氏。河野教授は自身が東日本大震災を経験し、科学者や知識人と呼ばれる人々が保身のための発言を繰り返す様子を見たことで、「市民が意見を言える社会を作ること」の必要性を強烈に感じたそう。そのためには本物の思考力を身につけなければならない、と河野教授は言います。

※本記事は、川辺洋平:著『自信をもてる子が育つ こども哲学』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。

日本の哲学対話は震災がきっかけで目覚めた

河野  日本で本格的に哲学的な対話を始めたのは、鷲田清一(わしだ きよかず)先生です。彼が「こども哲学」や哲学カフェを広めていかなければと活動し始めたのは、阪神淡路大震災がきっかけだったと記憶しています。

彼は京都の人ですが、僕が聞いた話では、彼は倒壊した地域に入っていって、「被災した人たちに寄り添うことこそが哲学者の任務だ」と思ったそうです。それで、彼は臨床哲学を立ち上げたわけです。

そういう考えのもとで、哲学カフェやこども哲学の活動をやってきたわけですけど、実際に、東日本大震災の後、哲学カフェが東北地方でにょきにょきとできたんです。

川辺 災害の体験と哲学対話や「こども哲学」の関係は切っても切れないものがあるのかもしれないですね。

河野 そうです。僕は東日本大震災で目が覚めました。地震が起きなきゃ目覚めないのかと言われると情けないとは思うんですけども、でも、そう思うんです。

川辺 しかも河野さんは、東日本大震災までもサイエンスカフェをやっていたわけだから、その自分が科学知識を理解できていないっていう実体験は強烈でしょうね。

河野 科学倫理をやってる人間でも、東日本大震災が起きても反応が鈍い人や、なお原発を擁護しようとする人たちもいる。僕はこんなことでいいのだろうかと思いました。科学が敗北したのかということの真相や真実を明らかにしなければいけないはずなんですが、なお悠長な、学者風の態度を変えない人間たちがいましたから。

その後しばらくして、フランスに行ったときに、フランスの学者たちが、東日本大震災について語るんですが、この語り口もまた悠長なんです。それで、僕はそれを見て、「もうこの人たちの言うことを聞くことはできない」というふうに思いました。