アメリカのトランプ大統領は、新型コロナウイルスの感染が拡大している、イランからの入国を禁止した。今年の初めにはアメリカ軍によるイランの司令官殺害、それに対してイランが支援する武装組織によるとみられるアメリカ軍駐留基地への攻撃など、対立関係が続いているアメリカとイラン。ところで、そもそも両国はなぜ対立を続けているのか。国際政治学者の高橋和夫氏にその深い因縁の原点を聞いた。
※本記事は、高橋和夫:著『イランvsトランプ』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。
アメリカとイギリスが主導したクーデター
イランで石油が発見されたのは、20世紀の初頭であった。イギリスは、いち早くイラン原油の生産と販売を独占的に支配し、莫大な利益を上げた。しかし第二次世界大戦後、より公平な利益の分配を求める声がイラン国民の間で起こる。その声を代表したのが、1951年に首相に就任したモサデグであった。
モサデグ首相は、石油産業の国有化を断行する。これに対して、国有化の動きが他の産油国まで広がるのを懸念した欧米の大石油会社は、イラン原油のボイコットで応じた。こうして経済的に追い詰められたモサデグ政権を、イギリスやアメリカの諜報機関が1953年にクーデターを引き起こして転覆させた。そのための道具となったのはイラン軍であった。
つまり民主主義の本家のような顔をしているアメリカやイギリスが、民主的に選ばれたイランのモサデグ首相をクーデターで倒したわけだ。クーデターに参画したアメリカの諜報機関CIA(中央情報局)の要員の一部が罪悪感を覚えたほど酷い話である。
そのクーデターの実施本部の役割を果たしたのが、テヘランのアメリカ大使館であった。そのため、大使館は陰謀の巣窟であるとの認識が、イラン人の心理に深く刻み込まれた。1953年のクーデターは、1979年の大使館事件の伏線であった。
双方がもっている被害者意識
また、モサデグ政権が倒れた後にイランを支配したシャー(国王)は、アメリカやイスラエルの支援を受けて育成した秘密警察を使い、民主化を求めるイラン国民の声を弾圧し続けた。革命によってシャーを打倒したイランの現体制の幹部の多くは、この秘密警察により投獄され拷問された経験を持っている。このような経験を踏まえ、イランこそがアメリカの被害者であるとの認識をイラン国民の多くが抱いている。
1979年にイランで革命が起こり、反アメリカの旗を掲げるイラン・イスラム共和国が誕生した。1979年11月には、テヘランのアメリカ大使館が学生たちに占拠され、大使館員が人質になるという事件が起きている。この占拠は444日にわたって続き、アメリカ人の多くがイランによって辱められたとの感情を抱いた。アメリカ人の心理に深い反イラン感情を刷り込んだ事件であった。
アメリカ・イラン関係の特異さは、このように両方が「被害者だ」という意識を持っている点である。被害者ばかりで加害者のいない関係だ。アメリカ人にとっては1979年の人質事件が両国関係の原点であり、イラン人にとってはアメリカが仕掛けた1953年のクーデターが原風景である。