初代ジョージ・ワシントン(無党派)

もしワシントン(1733~1799年)に息子がいたら、もしかすると、13州の代表たちは、ワシントンを大統領でなく国王にしたかもしれません。オランダのウィルヘルムのように、独立戦争の英雄が世襲の君主になるのは珍しいことでありません。

独立宣言をしたといっても、連邦としての基盤は脆弱でしたから、議会を基盤にした政府では、常に解体の危険をはらみそうでした。

若いアメリカ合衆国は、連合王国(イギリス)が同君連合であるように、国王に代わるベき存在を必要としていたのです。そして、ワシントンは188センチの見栄えがする肉体を持ち、物腰もヨーロッパのどんな国王より君主らしかったのです。

▲アメリカ合衆国初代大統領 ジョージ・ワシントン 出典:ウィキメディア・コモンズ

ワシントンの曾祖父はイギリスから1657年にやってきて、バージニアで農園を経営して成功していました。ジョージは、農園を経営し、測量を学んでバージニア西部やオハイオの開拓に取り組みました。次男でしたが、兄が死んでマウントバーノンの農園と民兵隊長としての地位を継承しました。

ワシントンは27歳のときに、マーサ・ダンドリッジ・カスティスという裕福な未亡人と結婚し、バージニア州の有力者となり、植民地議会代議員ともなりました。独立戦争後は引退していましたが、憲法制定会議(1787年)に出席し存在感を示しました。

1789年2月、最初の大統領選挙が行われ、ワシントンは選挙人投票で満票を得て、1789年4月30 日、ニューヨーク市のフェデラル・ホールでアメリカ合衆国憲法に基づく就任宣誓式を行い、初代大統領に就任しました。副大統領には得票数が2位だったジョン・アダムズが就任しました。

ワシントンは典型的な「逆玉の輿婚(マリッド・アップ)」ですが、マーサの大農園主としての卓抜した能力は「建国の母」として、今も国民の尊敬を集めています。2人に子どもはいなかったのですが、マーサの連れ子である2人の子を養子にしました。

独立戦争中の首都がどこで、元首が誰だったかは難しいところです。大陸会議や連合会議は、フィラデルフィアないしその周辺の都市で開かれ、フィラデルフィアが首都とみなされましたが、ワシントンの就任式が行われたのはニューヨークです。ただし、1790年にはフィラデルフィアに戻りました。また、大陸会議の議長をつとめたジョン・ハンソンが最初の元首と言えなくもありませんが、普通はワシントンをもって初代としています。

※本記事は、八幡和郎:著『アメリカ大統領史100の真実と嘘』(扶桑社:刊)より一部を抜粋編集したものです。