ネットを徘徊していて、“この子なんだろう?”と思って検索したことは誰しもあるだろう。その場合の多くは、公式サイトや事務所のプロフィールが引っかかって、その全体像を知ることとなるが、この金井球(かない・きゅう)という人物は謎である。

ミスiDのグランプリを受賞したこと、ロフトグループなどでトークイベントなどしていること、そして『週刊プレイボーイ』で水着を披露していること以外は、全体像が見えてこない。googleで金井球と検索すると、サジェストで「何者」と出てくるほどだ。

もしかすると、どこかで彼女のことを見かけて、同じように検索して同じような感想をもった人は多いかもしれない。ニュースクランチ編集部は彼女とコンタクトを取り、その全体像を掴むためのインタビューを敢行した。

▲金井球【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

私もミスiDを受けたら女の子たちを家に泊められる!?

まずは、謎多き彼女のパーソナルな部分に迫ろうと試みた。が、野良猫のように、こちらが前のめりで矢継ぎ早に質問をすると、逃げていってしまいそうな雰囲気がある。そこで、“金井球”という名前の由来について聞くと、困った表情を見せた。

「あんまりはっきりと覚えてないんです。金井、というのは本名です。最初にミスiDを受けたのが2020年、そのときは書類審査で落ちたんです。漢字一文字で球(きゅう)って名前で、あ、いや……ひらがなだったかな? 本当によく覚えてなくて(笑)。私が9月生まれで、芸人の“キュウ”さんが好きで、動物の鳴き声みたいで可愛いなと思った、それだけの理由です。それで、次の年から金井球で応募したんです」

ミスiDは2013年から2022年まで開催されていた。モデルやグラビアなどでよくある、雑誌の冠がついたオーディションとはまったく違う、今までにないタイプの女の子、ジャンルを超越した女の子を探して世に出そうという、個性派女子のためのオーディションだ。

金井は2020年、2021年、2022年と応募。2020年は書類審査で落ちたが、2021年にはセミファイナリストになり、2022年にはグランプリを獲得した。普通であれば、2021年にセミファイナリストになった時点で、ある程度の目的は果たされたはずだ。そこまで、ひとつのコンテストにこだわった理由はなんだったのだろうか。

「初めて自分で行ったイベントが、ミスiDのイベントだったんです。もともと可愛い女の子が大好きなんですけど、ミスiDのハッシュタグを見ていたら、なんか刺さる女の子がいて。それが、るかぴ(2019年「きみがいる景色が、この世界〜昼〜」賞​を受賞)でした。

この子に会いたい! と思って、渋谷のLOFT9 Shibuyaに行ったら、ほかの出演者の女の子たちが会場の外で溜まっていたんです。そこで、私が普通にお客さんとしてウロウロしていたら、その子たちから“ここで待ってるので合ってますよね…?”って話しかけられて、“えっ、私って出演者に間違えられるくらいなの!? やったぁ! じゃあ、私も受けてみよう!”って。

あとは、私は都内住みなんですけど、ミスiDって地方からの上京組もいるんです。“私もミスiD受けて、上京組の子たちと仲良くなったら、その子たちを家に泊められるじゃん!”みたいな、よこしまな考えもありつつ……フフフ。

1度目は、ミスiDっぽくないほうが逆にウケるんじゃないか、と思って、“サブカルに興味ありません! 大森靖子って誰ですか?”みたいなプロフィールを書いたら、見事に落ちて(笑)。そもそも大森さんは好きで知ってるのに、もはや私ですらない作られた履歴書で落ちたので、次の年からは嘘をつかずに、正直にプロフィール書いたら受かりました」

動機は単純な思いつきであっても、どうしてもミスiDになりたかった彼女は、3度目でグランプリに輝いた。

「おかげで、るかぴともイベントができたし、プライベートでもお会いできるようになったし、たくさんの可愛い女の子と知り合いになれたので、とてもうれしかった!」

▲「可愛い女の子って最高ですよね」と金井球

母は画家で父は記者…普通の家庭に憧れていた

ミスiDでグランプリを取る、というのは簡単なことではない。それを“可愛い女の子と仲良くなりたい”という気持ちで受賞した彼女の軽やかさ、そのミステリアスさの根源はなんだったのだろうか。彼女の幼少期に迫った。

「とても老成した、達観した子どもだったと思います。保育園の頃はクラスの中心にいて、みんなと仲良くて、めっちゃ楽しかったんですけど、それも俯瞰で見ていたような記憶があります。

その後、小学生になったら、急にイジメられるようになって。最初は私もやり返してたんですけど、途中で、出る杭だから打たれるのかと思って、“これ、めっちゃ不毛だな”と気づいて、そのやり返す気力もなくなっちゃったんです。

そこからは、ずっと本を読んでいる、とても内向的な子どもになっていきました。その頃は推理小説が好きで、江戸川乱歩とか、図書室にあった推理小説を片っ端から読んでましたね。

あと、お母さんが画家なんですけど、よくレセプションを開いていたんです。そこへ一緒に行って、大人の方たちと話すのがすごく楽しくて。そうなると、相対的に同級生とかと話すのがどんどん苦痛になってきて……そんな子どもでした」

活発な子どもから、なるべく目立たない子どもへと変わってしまった金井。そんな彼女が表に出る仕事に興味をもつまでの過程には何があったのだろうか。

「母親が画家で、父親は記者だったんです。それこそ、父はジャーナリストとして戦地などにも行くような記者で、何か月も海外へ行って帰ってこないとか、両親の思いつきで神戸に引っ越したりとか。父がサラリーマン、母がパートや専業主婦、みたいな一般的な家庭とは全然違ったんです。

そういう環境で育ったので、普通の家族、普通の母親に憧れがありました。その一方で、小さい頃から絵本を声に出して読むのが好きで。授業とかでも、音読が回ってくると“やったー!”みたいな。だから、普通のお母さんへの憧れと、表現することへの欲求という気持ちの真ん中で揺れ動いてました」