日米中の関係について

アメリカを見習って文明開化を進めた日本には親近感を持つが、誇りだけ高い中国はかわいくないと辛亥革命以前のアメリカ人は思っていました。

ところが、辛亥革命で共和国になってからは、けなげに頑張っているので助けたいという気持ちが出てきました。キリスト教が中国では多くの信者を獲得したことも好感度を上げ、中国のことを「シスター・カントリー」だという意識も生まれました。

ウィルソン大統領のころ、日本は首相が原敬で駐米大使は幣原喜重郎(戦後の首相)という親米的な布陣でしたが、ウィルソンは理念的に中国での利権放棄を要求し、日本側が最大限の努力をしていることを評価してくれなかったのです。

それでも、石井・ランシング協定(1917年)で、日米が日本の中国における特殊権益、中国の領土保全と門戸開放を受け入れたのは、外交官同士の知恵の産物でした。

ワシントン海軍軍縮会議のときに、九カ国条約で中国の主権尊重・領土保全が認められ、四カ国条約で日英同盟は解消されましたが、理念先行で無力な体制でした。

▲日米中の関係について イメージ:PIXTA

ここが意外に大事なことなのですが、日中が対立するとき、アメリカは原則論としては中国の主張を支持するような言い方をしつつ、日本の権益は尊重すると留保するような言い方をするのが常でしたが、中国は留保を隠してアメリカの支持を得ていると偽って日本権益を攻撃したので、日本人の反米感情に火をつけ、それがアメリカ人の神経を逆なでするという、ややこしい悪循環もありました。

またルーズベルト大統領は、はじめは戦争に巻き込まれないようにしていましたが、英仏独開戦後は、ドイツとの早期の開戦のために、日本を挑発しました。しかし巨視的に見れば、中国のほうがアメリカからかわいいと思わせることに成功したことこそ重要です。

中国は冷静に賢くアメリカに媚び、日本はアジア主義という形の野心を隠そうとしなかったのも馬鹿げていましたし、留学生の派遣なども明治時代に比ベ低調でした。蔣介石夫人の宋美齢は、アメリカで教育を受けたクリスチャンで対米工作の中心となりましたが、日本はそういう秘密兵器を持ちませんでした。

それから、共和党の大統領は現実主義的なので、日本とのウィンウィンの取引を好み、民主党大統領は弱くて遅れた中国を助けるのがいつも好きです。ルーズベルトの母の実家が中国貿易商で、母自身も中国を訪ねた経験があるのも不運でした。

※本記事は、八幡和郎:著『アメリカ大統領史100の真実と嘘』(扶桑社:刊)より一部を抜粋編集したものです。