日韓併合の原因は韓国側にある
日韓併合について、保守派には何も悪くないと言う人もいますが、強引に説き伏せて独立を奪ったのですから、今日的に言えば申し訳ないことでした。
ただし、無効だというのはおかしなことです。強制とまでは言わないが、強く圧力をかけて同意させたことを無効だといい出したら、国際法秩序は大混乱になります。
また、併合に至った原因は誰にあるかと言えば、そのほとんどが韓国側の稚拙な外交にあるというのを否定する必要はないと思います。とくに残念なのは、国王やその一家を含めた指導者たちの無責任な行動です。
明治新政府が近代的な対等の外交関係を提案したとき、朝鮮は「皇」とか「勅」の文字は、中国の皇帝のみが使うものだから許せないとし、国書の受け取りを拒否するなど嫌がらせの限りをしたので、江華島事件が起き、軽い戦闘の後に外交関係が結ばれました。
その後、国王の父である大院君と妻の閔妃の二人が日本と清と交互に提携し、日清の対立を煽り、近代化も妨げられたので進みませんでした。その結果、起きたのが日清戦争ですが、日本の勝利で朝鮮は独立を獲得し、大韓帝国になりました。
ところが高宗皇帝は、ロシアを進出させて日本を牽制したので日露戦争になってしまいました。そこで、国際関係安定のためにアメリカなどの支持のもとで、日本は韓国を保護国とする条約を結びます。しかし皇帝は条約を守ろうとしなかったので、日韓併合になってしまいました。
19世紀末から20世紀初頭の厳しい国際情勢のもとで、日本も韓国の気まぐれに振りまわされていたら、日本自身の独立も危うくなりますし、実際に朝鮮半島をめぐって日清・日露戦争も起きたわけです。
そんななかで、日本が最後の手段として併合に踏み切ったわけです。申し訳ないとは思うのですが、それではどうすれば良かったかと言われれば、なかなかほかにいい知恵があるわけではありません。
また併合にはもともと反対で、併合するとしても自主性を尊重すべきだとしていた伊藤博文を、安重根が暗殺してしまったのも残念なことでした。
もっとも、伊藤の自主性尊重論は、裏を返せば格差容認論であって、桂太郎の積極開発論や原敬などの内鮮一体化路線のほうが、韓国社会の近代化を促進するという考え方ですから、どちらが半島の人々に寄り添った考え方だといえるか、簡単に言い切れるものではありません。
※本記事は、八幡和郎:著『歴史の定説100の嘘と誤解 世界と日本の常識に挑む』(扶桑社:刊)より一部を抜粋編集したものです。