2020年の5月に、黒人男性が警官によって死亡させられた事件が引き金となり、全米各地で起きた抗議行動は、“BLM(Black Lives Matter)”として報道されました。その流れのなかで当時のトランプ大統領が、テロ組織に指定する意向を示した「アンティファ」とは何か? 異色の郵便学者・内藤陽介氏が国際ニュースの基礎知識を解説する。
※本記事は、内藤陽介:著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス:刊)より、一部を抜粋編集したものです。
リベラル過激派の暴徒に乗っ取られたBLM
2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで、偽ドル札を使った詐欺容疑で拘束されたジョージ・フロイドという黒人男性が、拘束時に警官に膝で首を押さえつけられたことが原因で死亡する事件が発生しました。
たしかに容疑者を死に至らしめたという点で、警察の側にも行き過ぎがあったことは事実でしょう。しかし、亡くなった男性が何もしていないのに、いきなり警察官に襲われたわけではなく、あくまでも“詐欺事件の容疑者”であったという点を見逃してはなりません。
この事件をめぐって、警察の行き過ぎに対して起きた抗議行動は、“BLM(Black Lives Matter=直訳すると「黒人の命が大切だ」という意味。もともとは2012年2月26日、フロリダ州サンフォードで、当時17歳だった黒人高校生のトレイボン・マーティンが、ヒスパニック系混血の自警団員ジョージ・ジマーマンに「正当防衛」と称して射殺された事件に抗議する運動のなかで生まれた)”のスローガンと共に全米に拡大。
5月31日には、当時のトランプ大統領も、反ファシズムを標榜する極左過激派の「アンティファ(ANTIFA="anti-fascist"の略称)」が、平和的なデモを乗っ取り暴力化させているとして、アンティファを「テロ組織」に指定する意向を示しました(2021年2月時点ではテロ指定は実現していません)。
「アンティ・ファシスト」の長い歴史
もともと「アンティ・ファシスト(ファシズム)」は、イタリアのベニート・ムッソリーニ体制に対する反対運動を意味していましたが、第二次世界大戦の時代を通じて、イタリアのファシスト党やドイツのナチスなど、主として枢軸側の独裁国家への反政府活動を指す総称になりました。
この運動が広がった理由のひとつには、1935年にコミンテルン(Comintern=Communist International〈共産主義インターナショナル〉の略称。世界各国の共産党を指導する国際組織)の第7回大会で、当時台頭してきたファシズムに対抗するため、共産党単独ではなく、世界中の政党・団体から幅広く反ファシズム勢力を集めて共同戦線を組む方針が打ち出されたことがあります。
この反ファシズムの共同戦線のことを「人民戦線」といい、当時の共産主義者たちによって「ファシズムに対する人民戦線」という構図がつくられました。要するに「アンティ・ファシスト」というのは、もともと共産主義系の運動だったわけです。
ちなみに、コミンテルン第7回大会では、日本・ドイツ・ポーランドを“打倒すべき敵=ファシスト”と認定しています(ソ連にとっては、大した脅威とはみられていなかったファシストの“本家”であるイタリアは除外)。
ファシズムを「政府や議会よりも、政権党の意思決定が優先される一党独裁体制」と定義するなら、旧ソ連をはじめとする共産主義諸国も立派な「ファシスト国家」になります。ということは、“反共”の立場から彼らに抵抗した人々も「反ファシスト」としなければ筋が通りません。
ところが現実には、最初に「反ファシスト」を名乗ったのが左翼側だったこともあって「反ファシスト」の看板は、労働組合の活動家・社会主義者・無政府主義者・共産主義者などの左派勢力の専売特許のようなものになっていきました。
つまりは、その流れが現在まで続いているというわけです。