反ファシストから反核・環境保護へ

さて、第二次世界大戦を通じて、欧州と東アジアでは、主要な「ファシスト(と認定された)政権」が崩壊しました。肝心の“敵”がいなくなってしまうと、せっかくの「反ファシスト」のスローガンも意味を持たなくなってしまいます。そのため、戦後の国際左翼運動は“敵”を変え、冷戦と連動するようになっていきました。

冷戦と結びついたということは、アメリカ(をはじめとする西側諸国)が彼らの“新しい敵”になったということです。しかし、ただ闇雲に「反米」を唱えたところで、雲をつかむような話になってしまいます。

そこで、ひとつの大きな柱になったのが“反核”です。

▲1958年にデザインされた核軍縮キャンペーンのシンボル 出典ウィキメディア・コモンズ

左翼勢力にとって都合がいいことに、第二次世界大戦が終わった時点で原爆を持っていたのはアメリカだけでした。こうして“反米と結びついた反核運動”が、戦後の国際左翼運動のひとつの柱となって盛り上がっていきます。

その代表的な例が、平和擁護世界大会(のちに世界平和評議会)などによる「反核」運動です。

平和擁護世界大会は「国際平和の実現と擁護を目的とする国際組織」というのが建前ですが、実際には「冷戦下で東側諸国が、西側にプロパガンダ工作を展開するための組織」という色彩がきわめて濃厚でした。

そのため、1949年4月にパリで第1回大会が開かれた際には、フランス政府が東側諸国代表の入国を拒否し、チェコスロヴァキアのプラハでも会議が同時に行われています。

1950年の第2回大会に関しても、当初は英国のシェフィールドで行われる予定でしたが、英国政府により入国拒否となった関係者が多かったため、実際には11月16日から22日の日程で、ポーランドのワルシャワで開催されました。

ちなみに、この間の1950年3月に開催された平和擁護世界大会第3回常任委員会では、

  1. 原子兵器の無条件使用禁止
  2. 原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現
  3. 最初に原子兵器を使用した政府(=アメリカ)を人類に対する犯罪者とみなす

とする「ストックホルム・アピール」が採択され、全世界に署名が呼びかけられています。高校の教科書などにも載っている有名なアピールですが、これも結局は「平和」や「反核」を前面に出しただけの「反米」運動に他なりません。