私が日本の皆さんに一番伝えたいウルムチの面白さは、ウルムチに暮らす14の異なる民族の人々が織りなす、不思議で魅惑的な暮らしであるとウルムチ出身のウイグル人ムカイダイス氏が語る。日本では新疆ウイグル自治区にあるウルムチは、あまり知られていない。意外に思う人が多いかもしれないが、実際のところ、ウルムチは中央アジアにおける最大の文化的大都会でなのである。

“編む人々”が暮らす場所・ウルムチ

ウルムチが大都会として備える要素は、私個人の意見では、高層ビル群や人口の多さ、商業と交通の便利さ、規模の大きさなどの物理的なことに加え、そこに暮らす人々の文化的資質の高さと精神の豊かさにある。

地理的には天山山脈の北の麓に位置し、雨と雪の量が多い天山山脈からの雪解け水が、ウルムチ郊外の南山地区に豊かで美しい草原をもたらし、草原には遊牧のカザフ人が多く住んでいる。郊外には、かの有名な観光地「天池」がある。天候には比較的恵まれた美しい町である。

▲ウルムチ天池 出典:PIXTA

私が日本の皆さんに一番伝えたいウルムチの面白さは、ウルムチに暮らす14の異なる民族、すなわち言葉も宗教も考え方も違う人々の織りなす不思議で魅惑的な暮らしである。

それを語る前に、ウルムチの政治と歴史に言及しておこう。まず、政治の顔としてのウルムチは、中国領「新疆ウイグル自治区」の首府で、中国西部最大の交通の要衝であり、ギネスブックに載っている記録は「世界で海からもっとも遠い都市」ということのみである。

都市としての歴史は、260年ほどしか経っていない比較的に新しい都市である。18世紀に清朝の乾隆帝が、この地域を事実上征服し、城壁を設け「迪化(てっか)」と名付けた。これは「順化」という屈辱的な意味を含んでいるため、後に「ウルムチ」という昔の名を使うようになった。

都市として城壁が建てられる遥か前から、天山山脈麓の草原地帯を中心とした景色が美しい水が豊富なこの土地に人々が住んでいた。そのころから呼ばれる「ウルムチ」という名前は、モンゴル語の「美しい草原」という意味と言われるが、昔から住み続けているウイグル人はその説を否定する。

私は彼らから「この地域の谷に、天山山脈からの雪解け水が流れてくる渓流が多く、そのほとりに柳がたくさん育つ。その柳のしなやかな長い枝で、さまざまな生活用品を編んで暮らす人々をさす、ウイグル語の動詞『orumchi(編む人々)』から来ている」と聞いた。

▲天山山脈 出典:PIXTA

父に連れて行ってもらった食べ物屋の思い出

中華人民共和国が建国した1949年以降、漢民族がこの町に多く入植した。2002年には、ウルムチにおける漢民族の人口は、総人口の8割近くまでになっていた。私が生まれ育った「国家エネルギー省新疆管理局」のなかで働いている人たちは、大多数が漢民族だったが、町には当時まだウイグル人が多かった。当時のウルムチは、やはりウイグル・ムスリム文化が主流だったような記憶がある。

子ども時代のウルムチで最も印象に残っているのは、ウイグル語の本屋と食べ物屋である。父は私を連れて外でご飯を食べていた。

ある日の朝は私を回族の店で鶏ガラお粥と小葱油饅頭を食べさせ、ある日はカザフ族の店でチャイと自家製チーズや丸い小さいナンを食べさせてくれた。タタールの店にオムレツとハンバーグを食べに連れて行く日もあれば、ウズベク人のポロを食べに行く日もあった。私は各民族の店の味と文化的な魅力にどっぷり浸かって幸せで楽しかった。

▲ポロ イメージ:PIXTA

違う文化が持つ神秘的な魅力の違いは、今も同じように感じることがある。ハラールではないから漢民族の店には行かなかったが、決まって8月15日にハラールの月餅を食べ、月見の話と漢民族の神話なども聞いた。

外に出るだけで自然にさまざまな言語が聞こえ、さまざまな民族の食文化に自然に触れる町として、ウルムチの奥深い文化的な空気は今でも私は世界で一番だと思っている。

※本記事は、ムカイダイス:著『在日ウイグル人が明かす ウイグル・ジェノサイド』(ハート出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。