中国・新疆ウイグル自治区において行われている現在進行形の人権侵害。徹底した監視・宗教弾圧・ウイグル語教育の禁止・強制避妊・中絶強要――それだけではなく収容所における強制労働・拷問・集団レイプ・移植用臓器摘出など、同地に住むウイグル人に対する中国政府の民族浄化政策は、苛烈を極めている。

これを受けて欧米諸国がいち早く対中制裁を発動するなか、一向に動きを見せない日本政府。一連の煮え切らない動きに対し、在日ウイグル人が声を上げた。

日本のみなさん「国があり、そして主権国家の国民として生まれる幸せ」、あるいは「国がないことがどういうことか」を考えてみてください。ウイグルの歴史が、“侵略を安易に許す側”も侵略者同様に“平和の破壊者”であり、“罪人”であることを悟らせてくれることを願っています。

ウルムチ出身のウイグル人ムカイダイス(Muqeddes)氏が語る、自身の半生と、中国政府による不当なウイグル支配の実態。

ウルムチの比較的裕福な家庭で生まれて

1970年代後半のある年の秋の日、中央アジアの大都会ウルムチ市に住むウイグル人家族の長女として、私はこの世に生を受けた。父は石油系の工業エンジニア、母は大学の哲学の講師として働くウイグル人の知識人一家であった。

私の家は、ウルムチの中心地である紅山地区の一等地に位置し「国家エネルギー省新疆管理局」の看板が頑丈な鉄の大門の両側に立ち、高い壁に囲まれた広くて立派な敷地のなかにあった。ここで働く人々は、自治区のなかでは一目置かれる存在であった。

名前からもわかるように、ここはウルムチにありながら自治区政府ではなく、北京の中央政府直轄の国営企業である。自治区で中央政府直轄型の企業は、生産建設兵団と軍そして石油などの資源が関係する所だけだった。

完全武装した無表情の護衛が24時間体制で守る大きな鉄の門を潜ると、広々と整備された大きな道路があり、その両側に5階建ての「弁公大楼」と呼ばれる黄色の建物が整然と並んでいる。そのなかの一室が父の事務室だった。

さらに奥に進むと、かなり大きめな新鮮な肉や野菜・果物の売店がいくつも並び、職員のための漢民族食堂やウイグル人食堂などもある市場、郵便局や病院そして文化センターがあった。

管理局の敷地を出ることなく、用事や買い物ができる仕組みだ。市場の近くの噴水と花園をさらに奥に進むと、ここで働く人々の居住地になっている低層のマンション群が建てられていた。

1980年代、中国の全ての企業はオフィスビルとそこで働く人々の住居施設が同じところにあるスタイルであった。

私が2歳を過ぎる夏まで、父と母は中国の文化大革命のときの「基礎から革命を経験すべき」との政策に従って、ウルムチ近郊のウェイフリヤン石炭鉱山で、父は鉱山の安全構造を管理し、母は鉱山の小学校で働いていたが、1980年の初めに、それぞれのウルムチ市内にある元の職場に復帰していた。そのときに父の職場から、この家を与えられたというが、私の記憶にはこの家しかない。

▲ウルムチ市の外観 写真:PIXTA